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喪中の旅行について

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はじめまして。
先日、主人のお父さまが亡くなられたのですが、9月に旅行を予定しております。(すべて手配済み、現在キャンセルをすればキャンセル料発生します)
何度主人に聞いても、行こうって言っているのですが、この場合キャンセルすべきなのでしょうか。
私の親には常識がないなどと言われ、困っております・・・


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

周囲がどう受け留めるかの問題でしょう

 遺族が喪中に旅行に行くことの是非について相談受けることは時々あります。でも、忌明けや喪中は、民俗・習俗にカテゴライズされます。基本的には仏教とは無関係です。但し、僧侶が葬儀を執行する立場であることから、忌明けや喪中について質問されたり、相談を受けることがあります。

 遺族が旅行することに関しては、はっきり言って、故人と遺族の方の関係の問題でしょう。故人が存命なら、遺族に対して「是非、行ってらっしゃい。」と行ってくれるような旅行なら、行くべきでしょう。と言うか、こういう場合はまず悩まないでしょう。

  遺族の旅行に関してお寺に相談に来るケースは、二つあります。

一つは世間の目の問題です。喪中の自分が旅行に行って良いのかどうか、それを周りの人はどうみるのか、そういう点を気にしての相談です。まあ、喪中だからと行って、会社の出張を断る人はいないでしょうし、それを理由に断ることは出来ないでしょう。そうなると、仕事以外の旅行でしょう。遺族としてやるべきことをやっているなら、世間の目を気にする必要は無いと思います。お寺側から見ても、生前中も葬儀後も故人のために精一杯尽くしておられる方には「あなたはやるべきことをしっかりなさっていると思います。まわりの目を気にしなくても、大丈夫ですよ。」と申し上げたことがあります。

  もう一つは故人との関係です。故人に対して失礼ではないか、申し訳なくないか、という相談です。生前、故人の介護や看病を十分にしてあげられなかった方が、そのことについて負い目を感じて相談に来る訳です。こういう場合、お寺側としてはそのことの是非を申しかねます。

 或る葬儀屋さんに御遺族(当寺の檀家)が旅行に行って大丈夫かと相談したら、「赤信号、みんなで渡れば大丈夫」的な理由付けで「みんな行ってるから、大丈夫ですよ。」という回答したそうです。こういう説明は間違っていると申し上げました。民俗的立場から、「遺族は死によってケガレているから身を慎みなさい。出かけていけない。」と考えられてきました。こういう考えは仏教にはありません。こういう考えは間違ってます。四十九日も百箇日も過ぎていますから、旅行に出かけても構わないと思います。但し、周囲の方々は時には無責任に非難したり嫌味を言ったりする場合があります。そういう場合も想定しておきましょう。

 

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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お気持ちの問題かと思います

こんばんは、地域や当家の考え方もあられますので一概には言えないですが、まずご主人は喪主を務められたのでしょうか。他のご兄弟や義母の方はご健在でしょうか。喪主を務められているのなら本来は控えられた方がよろしいかとは思います。お義母様がご健在であられればその方達にもご意見を伺われたらと思います。もちろん一番大事なのはあなた達ご夫妻のお考えですが、なるべくなら周りのご理解をいただいた方がよろしいかと思います。それを踏まえた上で私が菩提寺の住職だとして問われれば、お義父様が亡くなられたのが先日ということでしたら、100ヶ日忌も初盆も終えられてからのご旅行ですので行かれても問題はないと思います。ただあくまで周囲の方のご理解は得る努力はされた方が良いとは思います。そしてそれまでの間のご供養はくれぐれもお願いしたいと思います。

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おきもち

長くサラリーマンをしていて、16年前先代の跡を継ぎました。住職となって改め...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
主人や、喪主である義母に相談してみたいと思います。
実母にいろいろ言われ落ち込んでいたのですが、少し心が軽くなりました。
ありがとうございました。

「その他」問答一覧

学生時代全く楽しくなかった

僕は学生時代楽しかったことが明光義塾北巽教室時代か家族で東京ディズニーリゾート行けたことしかありません。 東京ディズニーリゾートではショーも良かったしエレクトリルパレードが印象残ったしスペースマウンテン乗れたことが思い出として残っています。 hasunohaオンライン相談でお坊さんと話しましたが「なんで勉強しなかったんですか?」と言われました。明光義塾北巽教室時代では楽しかったのにそれ言われるのが少し分かりません。本当に辛いです。明光義塾北巽教室の先生では個性的な先生も多かったし今でもその先生のことを昨日のことみたいに思い出してしまいます。明光義塾北巽教室時代が通っていた時代が11年前ですが昨日みたいにも感じます。 小学生から大学生まで人間関係が苦手で学校も2回も辞めました。 学童保育も行きたくもないのに嫌々で行っていました。学童保育もその職員とトラブルだらけやし人間関係にもトラブルだらけで楽しくなかったです。学童保育も楽しかったことはほんの一瞬でした。小学生時代は友達とのトラブルだらけで全く楽しくなかったです。 中学生時代には特に大声で怒鳴ってしまい、友達とも喧嘩ばかりの生活で学生時代楽しくもなかったです。また、私立中学校にもおれなくなり、退学になってしまいました。演劇部も入りましたが途中で辞めてしまいました。中学生活なんか人間関係も先生との関係も最悪でした。中学時代なんか楽しいことなんか何一つなかったです。 高校時代は大阪府立桃谷高校という高校に通ってました。なんかあまり高校らしくない生活をしていました。卒業アルバムもなかったです。学校行事も少なかったし修学旅行もなかったです。もっと高校生活アニメのような学生生活を送りたかったです。 大学時代は奈良大学に通っていました。アニメのようにキラキラとした大学生活を送りたかったです。奈良大学全く楽しくなかったので大学中退してしまいました。もっと大学生活明光義塾北巽教室のような盛り上がりのように楽しみたかったです。 明光義塾北巽教室では賑わってもいました。明光義塾北巽教室の環境では多分、アメリカのパーティーぐらい盛り上がる環境だったとも思います。明光義塾行ってた人も楽しかったとも言ってました。 小学生から大学生まで全く楽しくなかったので思い出何一つないので嫌になります。

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地獄が存在するという宗派はどの宗派ですか

地獄に落ちるのが大変怖いです。 その恐怖によって重度の強迫性障害になって精神科に3年通院しています。 なぜそんなに地獄が怖いのかと言いますと、自転車な運転等で、違法な運転を繰り返ししていて、人を意図的に死なせてしまったかもしれないと、思ってしまうからです。 現状、警察にもお世話になっておらず、人を意図的に死なせようとした記憶はありません。なのでこの恐怖も障害のせいだとわかっているのですが、万が一人を意図的に死なせていたら「自分は地獄に落ちて拷問されるんだ」と思うと不安でしょうがありません。 自分は今の所無宗教なのですが、どの宗派に入れば救われるのか、そもそもどの宗派が地獄が存在すると説いているのか、それもわからず不安でしょうがありません。 また、自分が仏教に入るべきなのかどうかもわかりません。イスラム教やキリスト教に入るべきなのかもしれない、入らないと地獄に落ちるのかもしれないと毎日強迫的な観念に囚われています。 なので、仏教の宗派全体にお詳しいお坊さんがいらっしゃれば、良ければ私がこれから進むべき道や、考え方を教えていただけないでしょうか?

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死んで詫びるほかないと決心しております

まずは先に謝らせてください。 皆様のお時間を取らせてしまい、また貴重な場所を頂戴してしまい、本当に申し訳ございません。 本来なら黙って実行するのが筋なのですが… 私は現在300万の借金を抱えています。 そして死亡保険が300万支払われます。 私の命に一切の価値がないことは生まれた時から承知しておりますが、父、母、祖母のため、兄弟のため、負債を残さず死ねると知り、一両日中に決行しようと考えております。 またその際は近隣でずっと迷惑をかけている暴走族を道連れにできればと思っております。 ほとんどの方からすれば300万円は安くはなくとも、どうにかなる金額だと思います。 しかしすべての稼ぐ方法が消滅した私にとっては、無限にも等しい金額です。 超重度のアトピーとASD、おまけにコミュニケーションスキルがなく、まともな就職についたことがありません。 毎年なんとか仕事をいただけないかと努力していますが、断られた会社はゆうに500を超えました。 もう努力する気力もなくなってしまいました。 支援を受けられるほどの障害もないためあらゆる機関から見放されました。 また、自分は愛しているのに誰からも愛されず、ただ一人とも心を通わせられることはなかったです。 家庭にいて、集団にいて、ずっと孤独でした。 学校も社会も、私にとってはいじめを受けるための場でしかありませんでした。 家族もきっと、私の死を喜んでくれると思います。 普通に生まれたかったです。 どうか死にゆく私にせめてもの慈悲として、念仏を賜れないでしょうか。 それをいただいたのち、暴走族のバイクに特攻しようと思います。 何卒よろしくお願い申し上げます。

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救われない予感がします

浄土真宗に救いを求めた者です。しかし、考えてみると僕は阿弥陀如来様の救いを享受する資格がないのではないかと思いました。 これまで何度も食べ物を無駄にして、嘘をついて暴言を吐き 謗法罪や五逆罪に当たる様なことまで考えていました 過去に「家は浄土真宗だから、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるよ」 という言葉を聞いておきながら、前述の蛮行を辞めず、インターネットでは誹謗中傷や違法ダウンロード/アップロードをしてしまいした これらのことをしておいて、僕は反省することも信じることもできず、聴くべき聴聞も説法もまともに聴けません 今日でも、極楽浄土はどれ程美しい世界なのか、僕の様な罪深い人間でも、救ってくださるのかと考えておきながら 時間泥棒に邪見、嘘などの罪を犯してしまいました 今後も邪見や、食べ物を無駄にする行為を繰り返してしまったり、都合よくクリスマスや阿弥陀如来様の恩恵を受けようとしてしまうと思います。もはや救われることなどあり得ない気がします 過去にも僕の様に、阿弥陀如来様の救いを得られる身でありながら、悪事をおこなった者が破門にされたと知りました 前述の通り、僕は心から反省することも信じることもできません 阿弥陀如来様を疑い軽んじ、これを書いている間も書いた後も、何度も動画サイトに移動するほど真剣さがありません。先程も破れば地獄に堕ちる法のことを、軽んじる様なことを言ってしまいました。僕はやはり無間地獄に堕ちるしかないのでしょうか

有り難し有り難し 37
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寂しいし疲れるのと不安

僕は昼でも人とあまり関わっていないため、寂しくなりました。出会う機会がないので本当に寂しいです。寂しすぎて辛いです。体もしんどくて疲れます。寂しすぎて心が不安定になりそうです。母親とはよく喋っていますがその人しか関わっていなくて寂しいです。 僕は盛り上がるにはイベント積極的に行った方がいいと言われて2024年4月にヒトリエという歌手のライブに行きましたがリズムも単調でヒット曲もないことから満足度低かったです。阪神タイガースの試合も行きますがそのチームが弱くて勝つかなとも思い、不安になります。ユニバーサルスタジオジャパンに行きますが怖い乗り物が苦手で体力的に疲れることもあり不安になります。 寂しすぎて寂しすぎて本当にイライラしてしまいます。生野区でも町でもあまりワイワイ盛り上がっていなくて静かすぎて寂しくなります。電車内でもうるさくしてなさすぎて盛り上がってないので辛いです。体力的にも疲れます。 僕は2024年1月ごろに自立訓練生活訓練という事業所に通っていましたが大声で怒鳴ってしまい辞めてしまいました。友達もいないので本当にひとりぼっちです。ぼっちがずっと続いてます。今のところは人と関わる機会がほとんどないのです。体も疲れます。スポーツジム行ってますが体が疲れて筋トレや有酸素運動がなかなか続きません。 腹筋も割れたいのですがなかなかしんどくて体力があまり持ちません。 どうすれば寂しくなくてしんどくない生活が続きますか?

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行動への強迫観念?と推しへの不安

私は、自分のちょっとした行動が不幸をもたらすんじゃないかという不安にずっと取り憑かれています。 「不幸をもたらす」の対象は、自分だけでなく自分の大切な人だったりしてかなり苦しいです。 その行動一つ一つは大したことなく、「洗い物をしなかった」みたいな少し悪いこともありますが、大抵「ジュースの缶を左手で持った」みたいな本当にしょうもないことです。 どんな行動に対してそう思うのか、ということに決まりがある訳じゃなく、急に「こうしないと悪いことが起きてしまう」みたいに思います。 別に昨日はジュースを飲む時に缶をどっちの手で持ってもよかったけど、今日は左じゃダメって缶を持つ瞬間に思って、持ち替えたり、或いは間に合わなくてそのまま左手で持っちゃったり、という感じです。 ところで私は競馬が好きで、推しの騎手を応援するという楽しみ方をしています。 ですが先日、ある騎手の方がレース中の事故で命を落としました。 今まで怪我は見たことがありましたが、死亡というのは私の見ている中央競馬では長い間なかったことで、なんだかんだ帰ってきてくれると思っていただけに、とてもショックでした。私の推しではありませんが、推しの相棒とも言える馬の調教によく携わっていた方で、お子さんも産まれたばかりだったそうです。 そして改めて騎手という仕事の危険性を実感しすごく不安になりました。それでも競馬は楽しいし、見るのをやめるというのは亡くなった騎手の方にも、これからも頑張り続けるであろう自分の推しにも失礼だと思うので見続けますが……。 そして、その不安がそうさせるんだと思うんですが、上に挙げたような自分の行動が推しやその周囲のことを傷つけないか不安です。 回避できたらまだいいですが、行動を途中で止められず回避できないことも多いです。さっきもそうでした。 車は急に止まれないって言いますが、そんな感じだと思います。たとえばジュースを左手で持ったらいけない、って思ってもその時左手がジュースを持つ体勢に入ってたらそのまま持ってしまいます。 頭の中で「〇〇したらダメ!」ってなるのが、回避できるか否か微妙なタイミングだったりする時があるのも大きいです。 うまく説明できなくてすみません。 自分でも馬鹿だと思いますが、日常が少ししんどいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ