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気持ちを圧し殺しすぎて疲れました

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有り難し有り難し 26

誰にも愚痴や弱味を言えず疲れました。

育児休暇明けで四月から復帰しました。

旦那は育児休暇中の家事のレベルを維持してほしいらしく、ごみ捨てや食事、片付け等は殆ど私です。
(月に2、3回子供のおふろや食事作りをして、俺はイクメンだと言い張るレベル)

職場は早く休暇前のレベルに戻してほしいようですが、元々の要領の悪さと、ミスや分からないことばかりで、オロオロしてしまい、上司や同僚から、遠回しですが『仕事ができない』と言われてしまいます。

本当は、『家事をもっと手伝え!』、
『これでも、必死に頑張ってるのにこれ以上どうしろっていうの?』
‥‥等、叫び出したい気持ちになります。

ですが、もともと内向的な性格と、上記のことを旦那や親に言えば
『じゃあ、仕事やめたら?』
『自分で選んだ道でしょ』
『自分の方が大変』と言われるのが目に見えています。

実際に一度愚痴ったら、そう言われました。

友達や同僚にも、愚痴を言えず、家にいても子供と二人が多く愚痴をいえません。

職場でも家でも、なんとかニコニコしてやり過ごしています。

なんだか、気持ちを圧し殺しすぎて、疲れてきました。
そして、このままだといつかキレてしまいそうで自分でも怖いです。

自分でもどうしたらいいかわかりません。
助けてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

1人インナーおしゃべり禁止

あなたの今後の身心のご健康のために、これを戒律として提言いたします。
あなたはアレコレ心の中で思う前にアウトプット、出力、言葉にしちゃった方が健康のためにも良いと思います。
(一一")「どうせ旦那に言ったってこうに違いない、ぐじゃぐじゃ…👻」
(´-`).。oO「ああ、今日も私がこれをやるのか、ぐじゃぐじゃ…👿」
チョー不健全、不健康です。
そうやって、ため込んでしまって現代人みんな病気になってしまっているのです。
旦那に気づかいしながら独りでドロドロ考えるのはよくないです。
一つ屋根の下で、毎日の事。今後も何十年もパートナー。(候補?)
一番身近で、何でも話せるべき相手が気づかいしなきゃいけないカタマリ・敵になっていってしまうと、家庭が地獄になります。
よって、今のあなたの心の中の独り言、妄想、インナーセルフトークが、海底100メートルであるとします。
それをせめて海女さんが潜れるくらいの所でやることです。
心の奥深いところで誰にも聞いてもらえない、理解もしてもらえない、声にもならないトークは自分を苦しめるだけです。
今日から、海に潜らず、陸上でお話をしましょう。
話に花を咲かせることを目的としましょう。
あなたと同じような方でガンになった方を知っています。
1人インナートークばかりで、ため込んで体内に毒素が蓄積してしまったそうです。
ご主人と仲良くするために、を前提にお話しして、助け、サポートをお願いすることです。
「最近、ノイローゼになりそうで、ちょっと助けてもらいたいことがあるの。聞いてもらえる?今後、家計を支えるために、私もある程度、仕事で共働きで協力したいのね。うん、最後まで聞いてね。
だからと言って家事・家事で家の中にずっといてもノイローゼになってしまいそうなの。
結構、家事って大変なの。私、家事、得意じゃないのかな。
ちょっと、3日でいいからやってみて欲しい。
女性でなくてもずっと家の中に閉じこもっているとおかしくなっちゃうの。
だから働いて社会の空気を吸いたい。
その為に、軌道に乗るまで家事を少しでも分担して手伝ってほしいのです。お願いします。ということで、明日から全部、家事やってね。(笑)」
冗談を交えて紙に三カ条くらいお願いしたいことを書いて、旦那が負担なくやれそうなことをお願いしてみましょう。旦那のトリセツ本を買ってみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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