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どうしても合いません

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苦手な人とはどういうふうに接すればいいでしょうか?三年あまり同じクラスで過ごしてきましたが、その方とはどうしても合いません。合わないなら、関わらなければいい。という意見もあると思うのですが、学校行事や学習などで、どうしても関わらなければいけません。そういった時に、どう接すればいいでしょうか?教えてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

前回までの評価を関連させない。

私をイジメた人と仲良くなった方法をお伝えします。
その人と、その時だけ、その場で、いつも真新しく接するのです。
「この前嫌な事されたな」というのはこちら側の頭の中だけなのです。
相手は忘れています。
「え?そんなことしたっけ?」位にしか思っていないものです。(^<^)
人に対する印象って、瞬時瞬時に生まれ変わって、塗り替えられていくものです。
今の現時点においては、その人の事がお嫌いであろうと思いますが、「きらいだ、イヤな人だ」と思っているのは、評価の方であって、リアルタイムで動き回っているその人自身ではないのです。だから、その時、そこで、真新しく出会う事で、以前までの評価を離れて、そこで新しい印象が生み出され、塗り替えられていくのです。
それでも「やっぱり、あいかわらずイヤな人だなぁ」と思うことは仕方ありません。
ですが、評価というものは良い面悪い面は表裏一体。
付き合いづらい人ではあるけれど、こちら側が鍛えられる、勉強になる、好き嫌いを克服できる、そういう力にもなるものです。
相手に対する評価と付き合っているから苦しいのです。
相手そのものの実際のその時のその場所のその状況でのその人と接してみると、こちらの好き嫌いは何もなかったという事に気づけるはずです。
誰とでも接せられるお坊さんは、このことを心得ているので、以前の評価は無しに接する力があるから、問題なく誰とでも付き合えるのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

その人は悪い人なのですか

あわない、にもいろいろあります。全然悪い人じゃないのに単に波長があわなくてそんなふうにおっしゃるなら、あなたに問題があります。ただの我がままですね。

そうではなく、困った人だからあわないなら、あきらめて最低限の関わりにとどめることでしょう。

また、基本的にはいい人なのに、細かいところで損をしているような人なら、その人のためを思って、さりげなく気づかせてあげてもよいかもしれません。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

チャンスを生かす

どうしても関わらなくてはならないなら、「人に好かれる自分になる練習台」になっていただく、下記の方法がお勧めです。
 「チャンス」は明確に来ます。それは、「あちらから何か働きかけがあった時」です。此方から働きかけるときや、第三者から一緒に頼まれる、などではありません。

「あっちがサービスを打ってきたときがチャンス」です。すぐに「練習モードにチェンジ!」と宣言します。心の中で。

 内容がどんなものであれ、サーブを打ってきた時は、「告ってきた!」位に受け止めてあげてください。何にせよ、貴方に対して自分を晒しているのですよ。「私を受け止めてほしい」と。

 ですので、最悪のレシーブは「スルー」です。「相手としては、一応フェアと思っている」サーブをしているのですから(虐めへの対応としては、アリですが)。
 まっとうなレシーブは、「貴方が言いたいことはこうね」と理解した上で、「返してほしいだろうな」と思うところに返してあげることです。その際、相手の表情をチラッと見ると、いいレシーブをしているか感じ取れます。
 しかし時に、変化球とか際どいサーブ(やリターン)が来たりします。相手のイイタイコトをはかりかねる(貴方の常識として、アリエナイこと)時。そんな時のレシーブは、「えっと…○○ってことかな?」と、貴方の理解したことを返してあげてください。相手が欲しいところに返すだけがレシーブではありませんが、「言っていることを理解したいのよ」というメッセージは、悪意にはなりません。この台詞が二人の中を悪化させることはありません。

 相手のイイタイコトや、こちらに望んでいることが分かったら。
「いいわよ、(一緒に)やろうよ」というのが一番のハッピーエンド。
「そのままでは、私には出来ないわ」も、悪くない終わり方です。つまり絶対ノーではないが、このままでは嫌だという交渉を持ちかけます。
あとは、どれだけラリー(やりとりの回数)があったか?ですね。ラリーが続いたなら「以前より、ちょっとわかり合えたかも」と思って大丈夫です。

 会話中は、とにかく「相手は今、こうリターンしてほしいのかな?」に意識を集中することです。過去の会話は余り参考になりません。そんな事を思い出していると、現実の言葉を逃がしてしまいます。あなたが「会話するに足る人」「信頼できる人」になるために、有効ですよ。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

回答ありがとうございました!
さっそく、明日からアドバイスしてくださったことを試していこうと思います。 とても参考になりました。ありがとうございました(^^)

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