二つの後悔
お忙しい中、大変恐縮ですが質問させていただきます。
私は幼い頃(9歳、小学五年生でした)初めてのペットとしてウサギを一羽迎えました。はなちゃんと名付け、毎日毎日可愛がっていました。
ですが、次第にいじめるようになってしまいました。理由は手を噛まれて血が出たとか、そんな些細な事だったと思います。
数ヶ月たった頃、ついに私がしたことが原因で、はなちゃんは亡くなってしまいました。
その時、非常に後悔し、それからは毎夜心の中ではなちゃんに謝り続ける日々でした。
そして、もう私は生き物を飼ってはいけないのだと強く思いました。
それから10年ほど経過して、先の冬に犬を飼ってしまいました。
家に迎えて以来、噛まれても何をされても、以前のようなことは絶対に繰り返すまいと。新しく迎えた家族と向き合っています。
以前のようにすさんだ気持ちで接してしまうことはもうありません。
毎日しっかりとコミュニケーションをとり、しつけ教室で共に学んでいます。
しかし、そんな生活の中で、うさぎのはなちゃんの事を幾度となく思い、何でまた動物を飼ってしまったのか。はなちゃんを殺してしまったのに。
はなちゃんの事を考え泣いてしまうこともまた増えました。
今いる犬のことは、私と私の家庭でできることすべてを注ぎ育てています。
しかし、ふとしたとき、犬の無垢な表情を見て罪悪感を感じます。
殺人犯にそれと知らず飼われているようなものなのではないか、
はなちゃんのときどうして今いるこの子に接するように優しくしてあげられなかったのか、
と毎日のように悩み、迷い、後悔しています。
不安な気持ちは犬にもきっと伝わってしまっていますよね…
私はどうしたらいいのでしょうか。
長文、乱文、失礼いたしました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたばかりのせいではありません。
まずは、はなちゃんのご冥福をお祈りします。
うさぎさんが、悲しい結末を迎えた事実は変わりませんが...
私が思うに、キヨコさんは子供時代「いい子ちゃん」をされていたのではないでしょうか。
周囲の環境がそうさせたかも知れません。
だから、「いい子ちゃん」ができないはなちゃんに、怒りと憎しみの感情がでてしまった。
第三者からみれば些細な事でも、キヨコさんは耐えれなかった。
もう、あなたの心の中は激しい憎しみが充満していた事でしょう。
そんな事、誰も理解するのは難しいと私は思います。
孤独、罪悪感、喪失感に耐えながら生きてこられてのですね。
事実は変えれませんし、あなたがわんこを欲しいと思ったのも事実です。
今、わんこと暮らしておられますが、はなちゃんの体験がわんこを大切にしようという意志に繋がっている事は、私でも容易に判断できます。
あなたの本来の姿が今の姿です。
はなちゃんは死をもってキヨコさんに教えてくれたのです。
はなちゃんとの出来事を忘れず、さらに楽しかった思い出も、たまには思い出してください。
はなちゃんは、あなたの心の中で生きています。
殺された事ばかりを思い描いておられると、うさぎさんがかわいそうだとおもいませんか?
わんこを家族に迎えられた判断はある意味間違っておりません。
はなちゃんの償いが出来るチャンスですので。
キヨコさんはあれだけ、ペットはもう飼わないと誓っておられたのに、わんこを迎えられました。
もしかすれば、はなちゃんの生まれ変わりで、今度こそ優しくしてねとあなたの前に現れたのかも知れません。
わんことの時間を大切に。
質問者からのお礼
丁寧なご回答、ありがとうございます。
自らの幼少期を振り返る機会にもなりました。
ご指摘頂いて、はっとしました。後悔ばかりではなちゃんとの楽しかったことを思い出すことは久しくありませんでした。
今いるこの子との出会い、巡り合わせを幸運に思い、毎日を楽しく過ちを繰り返さずに過ごせるよう、この子と、また、はなちゃんの思い出と共に生きていきます。
お忙しいなか、私の質問にご回答くださったこと、重ねてお礼申し上げます。