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普賢菩薩と懺悔偈など、お経について

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有り難し有り難し 7

今回はお経について質問が三つあります。

1.『浄土宗のお経』という本を読んでいます。初心者向けの本です。毎日のおつとめで読まれるお経が収録されています。懺悔偈のところで、「普賢菩薩が毘盧遮那仏の前で〜過ちを反省して、許しを請う偈文」と説明されているのですが、普賢菩薩が毘盧遮那仏に許しを請う、というのはどのようなエピソードでしょうか?普賢菩薩といえば、智恵を司り、白い象に乗ったクールなイメージなので、意外に感じて伺う次第です。また、毘盧遮那仏、普賢菩薩、阿弥陀仏はどのような関係にあるのでしょうか?

2.法要の時に「サンバラ〜サンバラ〜」と聞こえることがあるのですが、何というお経の一節かお心当たりがありましたら、教えてください。上記の『浄土宗のお経』を「サンバラ〜」と読めそうなところに注意して見てみたのですが、それらしいところが見つからないのです。

3.今度七回忌があるのですが、そこで読まれるお経とその順序は「浄土宗勤行式次第」と同じでしょうか?法要で読まれるお経が聞き取れるようになりたいです。

教えていただけるとありがたいです。よろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

①懺悔偈について
この偈文は華厳経にある普賢菩薩のエピソードにあるそうです。ですが、まだ私は華厳経を読んでないのでその内容は知りません。読むつもりではいるのですが、今は回答できずすいません。
浄土宗としては直接に普賢菩薩の話と関係しているのではなく、普賢菩薩の懺悔の言葉にならって、私達も日頃の悪行を懺悔するために唱えています。さらにこの後に十念がありますが、懺悔する気持ちで念仏を唱えることで、罪障が滅するのです。

また、普賢菩薩と阿弥陀仏と毘盧遮那仏、及びその関係については、様々な経典と解釈があります。私個人としては、仏様は私達に法を教え導いてくださる方、菩薩様は仏様に成る為に自ら修行をしつつも、仏様の侍者として私達に寄り添って導いてくださる方と思っています。

②献供咒について
それは献供咒といいます。日常勤行式に載っていたりいなかったりしますね。
「ノーマクサラバー タタギャターバローキティー オン サンバラ サンバラ ウン」
意味は「一切の如来様と観音様、養いたまえ、養いたまえ。」な感じです。お供え物をした時に唱えます。載っている経本が欲しければそちらのお坊さんに頼んだら良いと思いますよ。

③法要
法要のお経の流れはほとんど日常勤行式と同じですが、奉請文が三奉請と四奉請、誦経が四誓偈と阿弥陀経とその他、御法語が一枚起請文と一紙小消息とその他、三礼が三唱礼と三身礼と三帰礼、など種類やパターンがいくつもあるので、正確にはそちらのお坊さんに聞くのが良いと思いますよ。

なお、法要で一番のメインは念仏を唱えることです。阿弥陀仏に対して、極楽に行けますようにと願う。あるいは極楽に行ける安心を得たなら、極楽に導いてくれてありがとうございますと感謝する。そのような気持ちでお唱えくださいね。
あなたの念仏の声を、極楽にいるあなたの親しい人が聞いたなら、極楽での再会を確信し、お喜びになることでしょう。

南無阿弥陀

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

聖章様
早々にご丁寧な回答をいただき、ありがとうございます。なかなか奥が深いです。ところで、実家の菩提寺の住職さんは女性で、自分よりも若い方で、気さくで良い方なんです。それだけに、自分が住職さんの読経に感銘を受けて、浄土宗に興味を持つようになったことを悟られるのが気恥ずかしく、また、どのように質問を投げかけるのが良いのか分からず、こちらに質問させていただいております。唐突な質問にもご親切に回答くださって、ありがとうございます。サンバラについては、法要の時にそこが耳に残って、ずっと気になっていました。原典がわかって、本当に良かったです。これからも少しずつですが、学習していきたいと思います。ありがとうございます。
南無阿弥陀仏

聖章様
追伸です。懺悔する気持ちで念仏を唱えることで、罪障が滅する、ということを教えていただいて、ありがとうございます。懺悔したいことがたくさんあります。ふとしたことで思い出して、罪悪感を感じることがあります。ご回答をいただいたおかげで、気持ちが少し軽くなりました。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

有り難し有り難し 15
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ