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自分が加害者になってしまうのではないかという恐怖

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

私は2年前に交通事故を起こしてしまい、相手の方に大怪我をおわせてしまいました。その時から、ある人から、殺さなくて良かったなどと鋭い言葉を言われたりして、自分は酷い事をしてしまった、今後もまた自分が何かの加害者になってしまうのではないかという恐怖にも似た感情が湧き上がり、苦しんでいます。子供たちを私の留守中、火元の確認ミスで、火事に合わせて死なせてしまうのではないか、というのも大きな不安感です。予期不安が強く、外出もままなりません。一体どうしたらいいのでしょうか?お助けください。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

子に学ぶ

かもしれない思考は、かもしれないという枠からはみ出ることはなく、実際とは大きく違いますよ。
イチゴ味のチョコはいちご風の味はしますが、イチゴには決してならず、イチゴ味の枠からはみ出ることはないでしょ。

心配も同じ、考えていてもそれは考えているだけ、空を見上げれば星が輝いています。なんの問題もないでしょう。星とか名前も付いてないですが、ただそのものがそのようにあるでしょ。⭐️それほど満たされているのに、それ以上のものを求めるから不安になるのです。

今の様子で十分でしょ。そこでジブンという自我をたてると、今の様子以外の妄想を相手にしだすのですよ。

生まれながらに人は百点満点。運転は気をつけたら良い、それでも気になるなら乗らなきゃ良い。それだけ。人の死はいつあるかわからない。それでも、みんな今を満足に生きる力があるのです。

小さな子供達は死を意識して生きていませんよ。さても清々しく生きてますよ。子供達に学びましょう。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございました。最後の子供たちは死を意識して生きていないという言葉に、ハッとさせられました。自我を立てることなく、そのままの心で生きていけたらいいなと思います。

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