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ネガティブ=病気なのでしょうか?

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有り難し有り難し 11

教えてください。
いろいろな事実・現実・環境で、絶望を感じたり死にたいと思うことは、この世の中でいうと病気(鬱とか適合障害とか)なのでしょうか?
どんな状況におかれても、自殺など思いもしないのが、病気でない普通なのでしょうか?
そもそも、そんな状態に自分をしてしまう事が病気なのでしょうか?

他にも、ルールがあるからやると言うことに対して、自分以外の人が細かすぎるとか気にしないと思えば、執着しすぎる私が病気なのかな?とか、歩きタバコ・ポイ捨てをするひとでも世の中になじんでいれば、それは別に普通の事なのかな?とか。

普通という事に執着すること自体が病気なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

普通という幻想

二度目のご縁をいただきました。

ん~どうでしょうねえ。「病気」というレッテルを貼ってしまえば何でも病気になってしまう気もします。でも「死にたい」と思ったり、「もう死んでしまった方が楽かも」と感じることは病気ではない人にもないことはないと思いますよ。
ただ一度湧いたその思い・感情に留まって停滞してしまい、どんどんそれを増幅してしまうような傾向にあるならば病気を疑ってお医者さんにかかるのがよいと思います。餅は餅屋に、病気の事はお医者さんに相談です。

何が普通とか、ルール上何が正しいとか、わからないですよね。例えばそういう10段階のメーターがあって、6以上ならアウト、それ以下ならセーフとか図れるならハッキリするでしょうがそういうものでもないでしょうし、人によって、あるいは同じ人でも時と場合によってその基準値は移ろい変わるものでしょうしね。

そうなると「普通」というのは幻想かもしれませんね。あってないようなもの。誰もにあてはまるこれが普通なんて決めれるものはなくて、現実的にはその具体的な状況において関係する人が話し合い、確認し合って「こういうことにしましょうか」というものが仮にその場合における「普通」とされるという程度のものかもしれません。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武様
まずは前回、追加のご回答で、『またいつでもご相談ください。行き詰ったように思えても必ず救いの道はあります。ご安心ください。』と言ってくださったことに、大変感謝しております。今回の質問の通り、やはり日々生きる事に悪戦苦闘しています。でも、前回のご回答を読んで救われる時も多々あります。

そして今回のご回答もありがとうごさいます。
“確認し合って「こういうことにしましょうか」”
まさにこれが正解だと思いました。それが、私には出来ない事があります。

また自分はやはり精神的に病んでいるのでしょう。でも、自分が精神病だと認めたくない・病院に行っても環境を変えなければ解決は出来ない・今の会社を辞めたらもう働く自信がない・最近ではお金の不安が大きくなってしまって、病院に行く気にはなれません。

こんな私に丁寧に回答くださり、本当にありがとうごさいます。

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