考え方や価値観がパッと変わった出来事はありますか?
私はちょっとした否定ですぐ自分を見失ってしまいます。
優しく指摘してくれる人とか、相手にそういうつもりがなくても、自分はダメだと烙印を押された気持ちになってしまいます。打たれ弱いです。
このままだと辛いなと、変わりたいと思っています。
ハスノハで色々ヒントを頂けて、楽になった部分もありますが、体験談なども聞いてみたいです。
もう少し甘えさせてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの未来を応援します!
拝読させて頂きました。
生きている中では沢山の衝撃的なことはあります。そうして生きていることをついて否が応でも向きあうことにはなりますね。
私が若い頃、ロスアンゼルスで拳銃を突きつけられてホールドアップさせられた時、そしてインドで赤痢になって起き上がることができなくなった時に死ぬと思いました。
もうそれで私の人生は終わったかな?とも思いました。
それ以外にもいくつか死を目の当たりにした時には人生観が変わりました。
それでも今も私は生きています。生かされています。
最近よく思うのが当たり前のように生きていることが実は当たり前じゃないんだな、と思います。
実は何気ない毎日がいかに大切なことなのかを実感します。
今気がつかない中でも私達は何かに突き動かされて、何かをする為に今を生きているんだな、と感じます。
それは私だけではなくあなたもそうですし、全て生きる人々や生き物やものごともそうなのかな?と心から感じますね。
あなたが生きることは本当に大切なことです。
毎日何気なく過ごしていることも当たり前ではなく、本当に大切なことですね。、そして生きることは必ずや目標や意味があることです。
あなたのこれからの人生で沢山の素晴らしい出会いの中であなたが沢山のことを受け取り、そして役立てていかれて沢山の方々と共にお互いを支え合いながら本当に充実した豊かな毎日を成長と共に過ごして頂きますように心からお祈りさせて頂きます。
あなたの素敵な未来をどうか信じて歩んでいってくださいね!
あなたを心から応援しておりますね!
変わったことをしてみよう
昔、バイトで人材育成に関わっていた時の経験です。どんな困ったちゃんでも、ほとんどの人が劇的に変わろうとする瞬間があることに気が付きました。それは、教える側になった瞬間です。
今までいっっっつもお店の方針に反対し、散っっっ々反発していた人でも、教える側になった瞬間、パッとお店の方針を理解しよう理解しようと頑張り出すんです。何故か?「そんなことも教えられない自分」というストレスに負けるからです。
まぁ、100人が100人全員というわけにはいきませんし、人の心は複雑ですからその状態がずっと続くわけでもないのですが、それでも物凄く効果がありました。
どこかのQ&Aで実践してみてはいかがですか?「優しく指摘してくれる人とか、相手にそういうつもりがなくても、自分はダメだと烙印を押された気持ちになってしまいます。打たれ弱いです。」という人にどう回答するか?考えるだけでなく、実際に回答してみて下さい。最初は聞きかじったことを伝言するくらいのつもりでもオッケーです。きっと見えている世界が変わりますよ。
霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる
こんばんは。
私も人の忠告にすぐヘコむタイプです。
なるほど。考え方や価値観がぱっと変えることができたらいいですよねぇ。
実はあなたのご質問にお答えしようといろいろ考えていた所、ふっと思い出した言葉がありました。
それは「仏法は毛穴から入る」という言葉です。誰から聞いたのかなぁ?耳で聞いたり本で読んだりするんじゃなくて、毛穴からかぁ!気の遠くなる話だなぁ、と思った事を思い出しました。
もうひとつ、「霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる」という言葉があります。
霧の中を歩いていると、気がつかないうちに衣が湿っている、という事です。
どちらも仏教の教えは、急にわかるものではなく、接しているうちに自然と身についてくるんだよ、という事です。
私はお寺の子供でありながら、大学では仏教系の学部に進まず、大学卒業後はサラリーマンをしていました。その後訳あってお坊さんになるのですが、ご本山で(短い期間でしたが)様々なお坊さんに出会い、また自分のお寺に帰ってきてからも様々な研修に参加したり、様々なお坊さんの話を聞いたり、本を読んだり、そしてここで回答させて頂いているうちに、だんだんお坊さんらしい考え方になってきたような気がします。もちろんまだまだですけどね。
あなたもここhasunohaで、様々な質問を読んだり、その内容について考えたり、また思った事をここで質問する事で少しづつ気が付かないうちに考え方が変わってくるといいなぁ、と思いました。
ぱっと変わる話じゃなくて、じわじわ変わる話になってしまいました。
皆打たれ弱いです。
私は打たれ強い人はいないと思います。皆打たれ弱いと思いますが、守備力の度合いによると思います。自分が弱い人は意外に周りが見えておらず、自分の事しか考えておりません。見た目優しい人が陥りやすいことと思います。私もそうでした。人の善ばかりを期待して、自分は実は何も他人を助けていない。「なぜ自分だけ・・・。」を口癖にしてしまう。そんな事をしていると本当に自分の味方まで敵に回ってしまう。
その時に色々考えてある先輩から頂いたCD、心を入れ替える方法のような話を聞いて心が晴れたことを覚えております。その中の一つに「自分の事を認められるのも辛い。」という箇所に非常に目から鱗が落ちる思いでした。
自分の事を否定されるのも辛いですが、肯定されるのも辛いということを考えてみて下さい。
質問者からのお礼
kousyo Kuuyo Azuma 様
こんにちは、貴重な体験を聞かせていただきありがとうございました。
すごい体験ですね!
怖かったですよね。
私だったらトラウマになって外に行けなくなりそうです。それを人生観が変わったと思えるのはすごいと思います。
私は今ある物や、クリア出来ている物を当たり前と捉える所があるかもしれません。
支え合うって言葉は好きです、人との関わりあいの中で成長もしていきたいです。
『素敵な未来』私の頭の中にはなかった言葉です、想像するのは難しいけど、素敵な未来になるといいな。
応援してもらえて心強いです。
少し勇気を頂けました。
光禪 様
暖かいアドバイス、ありがとうございました。
私自身『ぱっとなんて現実離れかな…』と思いながら、『でも、私が経験をしていないだけで、もしかしたら…』との気持ちもありました。焦ってしまうんです。
接しているうちに自然と身につく。
なら、良いものに沢山接したいです。
昨日麦茶を作った際に洗剤がちゃんと落ちていなくて洗剤の味がするお茶を作ってしまい凹んでいました、それを見た主人に『そんな事で凹まないで』と言われました。
無意識に凹んでしまっていました。そういう小さい所から気付いて凹み過ぎないように気をつけようと思えました。
じわじわでも変われたら嬉しいです。
大慈 様
大慈 様
思いもつかなかったアドバイス、ありがとうございました。
確かに前働いていた所では、後輩に仕事を教える機会が沢山あり、新しい仕事もすぐ身についていた気がします。
それを自分の悩み事に結びつけれるなんて考えもしなかったです。
なんか、自分の日常から自分の苦手に応用できる事を教えてもらえた気持ちで嬉しいです。
ただ、悩んでいる私が他の人にアドバイスをしてしまっても良いのかな?という罪悪感みたいなものもあります。
もし、自分の悩みを人の悩みだと思ってアドバイスをするのなら。
『優しく指摘という事は、相手はあなたが困らないように指摘してくれているんだと思います。自分をダメだと思う前に相手の言葉に耳を傾けてみては如何でしょう。それと少し悲観的ではないですか?良い事を言われたりとかもしていませんか?』ですかね。
正直、大慈様が私の文を引用してくれた事で、私の文に対して『うわ、考え過ぎでしょ』と客観的に思う事が出来ました。
参考にしたいと思います。
大鐵 様
同じ目線でアドバイスをしていただき、ありがとうございました。
打たれ強い人はいないのですね。
私も守備力の無さは薄々感じていました。
RPGで例えるなら防備を鎧とかでは無く、村人の服で旅をしている気分です。
周りが見えない、それもそうだと思います。傷つくのが怖くてそればかれに注意を払っている所があり、周りを見る余裕が無くなってしまっているんです。
『自分を認められるのも辛い』そうなんですね、思い当たるとすれば、知り合いで自分に自信がある発言をよくしている人がいて、いつも何かと戦っていて、たまに周りを巻き込んでしまって、付き合いづらくなり周りの人たちが少しづつ距離を取り始めていて…あの人みたいな人の事なのかな…
守備力を高められると良いなと思いました。