霊障、行試し。そんなものはないですよね!?
いつもお世話になっております。
いわゆる霊障や行試しというものは、本当にあるんでしょうか?
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私は浄土宗の檀信徒であり阿弥陀様と極楽浄土に帰依していますが、真言宗のお寺に出入りしてお不動様にもお祈りをしています。
だいぶ前に、巨大掲示板で「行試し」という言葉を聞きました。
不動明王などの神仏が、信者・行者の信仰心がどれだけ強固なものであるか試験するために、わざと災難を背負わせるというものです。
私は縁日にお寺の門前で左足を激しく捻挫、今日は仕事中に机の脚に躓いて転倒、右足の靭帯を損傷しました。
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また動画サイトなどを見ていても、「家の中が霊道になってしまった!」「〇〇公園で見た!」「今私の横にぬっと出てきた!」などとおびえておられる方が大勢いらっしゃいます。
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このような、いわゆる「行試し」「霊障」は本当にあり得るのでしょうか。私は念仏の功徳、仏様の大慈悲・大威力は絶対なものだと思っているので信じませんが、
こうも気付いておられない方が大勢いらっしゃるのを見るといち仏教徒として、気が気ではありません。
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私自身の御仏に対する忠誠心、慕う心も薄れてしまわないか不安です。どうかお知恵をお貸しください。よろしくお願い申し上げます。
発達障害持ちつつ、他の 障害者の人が怖い… でもその考えは今や時代遅れ。 若い人たちは優しい。 私も変わらないといけない。 がんばる。
お坊さんからの回答 2件
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どう受け止めるか
私はそのような体験はありませんね。
災難も起こる時は起こるし、起こらない時は起こりません。
災難が起こる原因は自然現象か人為的な過ちによるのですからね。
気にしなくていいと思いますよ。
ただし、例えばキリスト教の信者が災難を乗り越えるために、神は乗り越えられない試練は与えない、と信じて乗り越えようとする気持ちを保ちますね。
同じように、もしあなたが災難にあった時、神仏が信仰を試しているに違いない、又は、この災難を見事乗り越えて成長して欲しいと願っているに違いない、と受け取ることで災難を乗り越える気持ちを得られるなら、そう思ってもいいと思います。
お釈迦様の教えは自分で考えましょうということですから、物事をどう受け止めるかはあなたの考えしだいなのです。あなたにとってプラスになるように受け止めたらいいと思いますよ。
仏の慈悲
拝読させて頂きました。
阿弥陀様は人を試すようなことはなさらないです。
阿弥陀様の慈悲は広大遠大であり全てのものを救います。
仮に今迄ご縁がなかった方々の霊があり、救いを求めていらっしゃることはありでしょうが、その時はお念仏おとなえし、その迷う霊を阿弥陀様にお導き頂きますようお願いします。
それで充分です。
どうか阿弥陀様そしてお念仏の信仰をしっかりと保ってくださいね。
質問者からのお礼
【聖章 先生】
ご回答ありがとうございます。そうですよね。もし災難が神仏のしわざだとしたら、日本中の寺社は大変なことになっているし、日本の政府さんだって黙ってないですよねw
お寺の門前で怪我をしたとき、捻ったところがカーッと熱を帯びたんです。きっと、お不動様が「おまえ、ほっといたらやばいぞ。すぐに医者に行け!」と教えてくれたのかもしれません…
ご自分の背中に背負ってらっしゃる炎の熱で。笑
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【kousyo Kuuyo Azuma 先生】
ご回答ありがとうございます。その節本当にありがとうございました!やっぱり阿弥陀様とお念仏から離れることは、私にはできません。
私なんかのお念仏でも、阿弥陀様はその御霊さんのところに行ってくださるんですね。
もしかしたらその霊さんたちは、運がよかったのかもしれません。地獄だとかに堕ちて苦しむより、念仏ができる人のいる人間界にどうにか掴まることができたんですから!