生きる気力がわきません。
ここ数年、体の具合が悪く家事をこなすだけでいっぱい、いっぱいです。主人の前ではなるべく元気に振る舞うようには心がけていますが…。先月末、年に一回の健康診断で乳腺炎がみつかり、そのまま医師の診断書をもらい、別の病院にすぐに行きました。大事には至らず治療の為に一日おきに病院に通い治療は終了しましたがもう片方の乳房に異常が見つかり、念のために検査をしました。結果はまだわかりません。医師の話では多分悪いものではないと思うとの事です。乳腺外科の通院の合間を縫って歯医者さんに通っていました。歯茎が腫れてしまったので治療していました。それから、かかりつけの消化器内科に薬をもらいに行くという事を一週間行っていたら、疲れてしまったのか、終末金曜日の夜中に急に気持ちが悪くなり、目が覚めてしまい、おう吐してしまいました。薬を飲んでまた眠りましたが、次の日はぐったりで愛犬の散歩にも行けずに夫に代わりに行ってもらいました。
働いていた時は健康だけが取り柄で女を捨てて働けていたのに…と思うと情けなくなります。もちろん辛い事も沢山ありましたが、嬉しい事もありました。
去年の2月には低体温の為、自宅で突然意識不明になり救急車で病院に搬送されました。その時も入院、リハビリと頑張って(夫や義母の力をかりながら)日常生活を送れるようになりました。
めっきり体が弱くなってしまった自分を責めるつもりはありませんが、生きるエネルギーがなくなってきているみたいです。
回りの友人達は仕事以外にも責任のある立場にたたされたり、その上、趣味も楽しんだりしています。私の年令からして恐らく皆、友人達のように大変だけど仕方ないじゃん!と笑ってエネルギーもりもりで生きているんだろうなと思うと、今の自分を考えると辛くなります。
一人取り残されてしまったようで悲しいです。私はこれから先、何を拠り所に生きていったらよいのでしょうか?教えてくださいませ。
長文失礼いたしました。
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今日を頑張りましょう。
こんにちは。悩める50代さん。50代ともなると体のあちこちにこれまで頑張って無理したツケが回ってきますね。私も体にガタが気まじめています。年取るのは辛く感じるときがあります。身体は年齢と共に思うようにならなくなっていきますが、逆に心や精神は自由に使わなければなりませんね。我々は、過ぎたことに悔い悩み、まだ来ない先のことを心配して不安を抱えます。毎日毎日を悔いなく一日一生と自分に言い聞かせてみては如何でしょうか。今日の自分と向き合いながら生きていくのです。ありのままの自分と向き合いましょう。出来ない無いことを嘆かずに、いま自分に出来る事に喜びを感じましょう!。作家の五木寛之さんは心が萎えいている時には一日にひとつ良いことをノートに書いたそうです。何にもない時は今日はネクタイがちゃんと結べた!。と無理しても書き続けたそうです。そうすると知らぬうちに何となく心が立ち上がって来たそうです。我々はややもすると求めすぎていませんでしょうか?。元気で美味しいものを食べて、旅行にもいって、夫婦仲よくが当たり前のように大きな欲求不満になっていないでしょうか。本当の幸せは、こうして命ある事に感謝するお蔭様の心ではないでしょうか。季節の花に感動し道端の花に手を合わせられるこころではないでしょうか。自分を幸せにするのも不幸にするのも自分のこころですよ!。どうぞ延命十句観音経を転ばぬ先の杖として唱え唱えまず今日一日を暮らしてみては如何でしょうか。
質問者からのお礼
意泉院 萩原徳雲様
早速のご回答、どうもありがとうございます。
仰る通りですね。過去や未来ではなくて今日一日ですね。
季節の花に感動し、道端の花に手を合わせられる心。なんて美しいのでしょう。
忘れておりました。
暑いので明日は、髪を切りに行ってきます。
心機一転できるとよいです。