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私の理想とわたしの現実の間で

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私はやっぱりひとりです。

「ひとりじゃないよ。」
「旦那さんが見守っていてくれているよ。」

わかります。私もそんな風に言ってあげると思います。

でも、期待以上に、以前のようには主人を近くに感じないのです。

どうどう巡りのような質問で、本当に申し訳ありません。あまりにもどうしようもない問いかけで、誰もがどう答えたらいいのかわからないような質問で、ご迷惑なのもわかります。
ですが、誰にも話せず、辛いです。

子供たち二人が一度に違う方へ駆け出せば、片方をお願いすることもできません。見守っていてくれると願うことで、責任が半分になるなんてことはないという現実に、私はこれからもひとりで戦っていかなくてはなりません。

私は強くなりたい。
まわりのひとに支えてもらいながら、でもひとりでも生きていく根本的な強さは、どうしたら持てるのでしょうか。

自分に自信を付けたくて、半年前より介護の資格を取りたくて学校に通い、無事に合格しました。体力を付けたくて、娘と3人で低い山ですが、登山を始めました。

いろいろと行動を起こしてみては、終わってしまうとまた寂しさを感じてしまいます。

私のやり方は間違っているのでしょうか
どうしたら、強く生きて生き抜いていけるのでしょう

それともこのまま悲しみと向き合いながら、現実の世界を必死に生き抜いて行く人生を歩くのでしょうか。
でも、それが人生というものなのだとしたら、強く生きるために、主人のような人生を共に生きてくれる人を探すしかないのでしょうか。

私の理想と私の現実との間で、結論が出せていないことにはっきりしないことが原因なのでしょうか。

私の理想は、例え亡くなったとしても主人と4人家族でこれからも、この先も変わらない。普段の現実は無理なく理想に近いです。

私の現実は、実際は1人で2人の子供たちを育てなくてはならない。経済的な責任ではなく、大きな意味で。

私の希望は、理想に近い形で日常を送れるようになるために、不意に現実を感じる場面があっても、受け入れつつも堂々としていたいのです。
不意な不安がこわいのです。どうしたら強くなれますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「わかる」を超える「わからない」はたらき

ゆこさんこんにちは

私たちがあれこれ回りくどい事を言ったり、気を遣って耳障りの良いことを言わなくてもゆこさんはご自身でよくお分かりなのだと思います。

ただ、「わかる」ということとそれを「受け入れられる」ということは別です。わかっていてもどうにも辛い…わかっているのに納得できない…そんな時にはたらくのが宗教なのかもしれません。
宗教は勉強ではないのでわかってもしょうがないのです。そこに救いというはたらきがなければわかっても仕方ありません。それは「わからない」ままでもあり得るのでしょう。なんだかよくわからないけどご主人を感じるということが現実的にあるように…。

さて、端的に申し上げるとおっしゃるとおり経済的な面・物理的な面ではやはり一人でしょう。これまで二人で見られたことも一人でみなければいけません。新たなパートナーと云々…ということがなければこれから先もそうでしょう。

ではあらゆる面で一人なのかというとそれは違います。ご主人のこれからのはたらきというのは精神的な面、宗教的な面におけるものでしょう。

一人という現実にどうしようもなくなる時、お仏壇の前ででもご主人と会話したり思い出したりすると力が出ませんか?
どうしようもない寂しさや不安はなくならなくとも、寂しさや不安を引き受けていこうとする願い…自分も本当はそう思っていて、ご主人もきっとそう思っている…そんな風に気づかされませんか?
ご主人との出遇いはゆこさんご自身との出遇い…自分がハッキリするという形であり得るのでしょう。

それはお子様たちにしても同様です。これからもお父さんのことを思い出したり、ゆこさんから「お父さんはこんな人だったよ」「こういうことを大事にしていたよ」「こんな時はこうしていたよ」なんていう話を聞いて、これからもずっと影響を受け続けていくのでしょう。

そういう面では人はその命を終えてもまた出遇っていけるのです。

どうにもならない現実がどうにかなるのでなく、どうにもならないままにでも引き受けていく力を亡き人から、そして仏様の教えからいただくのです。

現実を乗り切る強さは、ご主人の前では弱さをさらけ出すことでもらえるかもしれませんね。

南無阿弥陀仏

追記
弱いままでもいいのです。弱さを出せる強さって実は最強かもしれませんね。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

こんばんは。

お返事ありがとうございました。

私は強くならないとだめなのだと思い込んでいました。
でも、そんなことをしなくても、無理しなくてもいいんですね。こんな解決策があるなんて。

でも、吉武様はいつもお話しして頂いていましたよね。何度もしかも大変遅くなり申し訳ありません。
「はたらき」と「出逢い」届きました。ありがとうございました。

弱さを出せる強さですね。確かに最強かもしれません。
私が弱さを出せるのは、主人だけでした。

これからもこんな弱い私と、前と変わらず、一緒にいてほしいです。

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