なぜ生まれたの?
不安、悲しさ、寂しさしかないです。
心のなかに楽しいこと嬉しいことがありません。
ポジティブな事や人をを見聞きすると胸がぎゅんとなって辛く悲しくなります。
価値がない。誰のためにもならない。
明日起きるのが怖いから眠りたくありません。
ずっと生きてきたけど、ずっと同じです。
私はどうして生きているんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏に成るためです。
仏教とは「仏の教え」&「仏に成る教え」という二つの意味があります。
「仏の教え」とは「お釈迦様の教え」という事です。
「仏に成る教え」とは何でしょう?。「仏」とは「100%利他行(りたぎょう)=他人のために尽くす人」の事です。中々、生身の人間にはできませんね~。しかしそうなるよう努力することが大事なのです。
あなたは今まで生きてきて〈誰のためにもならない〉と悲観的にしか周りを見れないようになっているのでしょう・・・。
しかし「あなたがいてくれたお蔭で自分は助かった」と思っている人が必ずいるはずです。それだけで「仏様」に一歩近づいています。辛い事、悲しい事を耐え忍んで生きていく、それを❝忍辱行(にんにくぎょう)❞といって、「仏様になるため」の修行と考えます。
生きている、いや生かされている、と考えて《誰かが喜んでくれること》をしてあげて下さい。どんな些細な事でもいいのです。
そう心がけて、人生を歩んでいる内、キット〈どうして生きているんでしょうか〉の答えが見つかります。当然〈なぜ生まれたの?〉の意味も分かります。合掌
お気づきがあるでしょう
拝読させて頂きました。今生きる中での不安を感じておられるのでしょうか、何故自分が生かされているのか、生きなければならないのか、ふと感じてしまいますよね。それも現実のはざまにあって毎日の生活の中で疑問は湧き上がってしまいますよね。
あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
人が何故に生きるのかは私たちが与えられた生きる中でのテーマかと思います。なかなかそう簡単には答えは出てきません。自分が生きていく中で様々な実体験を通して感じて見つけていくものかと思います。
どんなに生命は大切です、どんなに人とのご縁は大切です、どんなに仏教の教えは有難いです、と、お伝えなさっても実体験として自らの身に押し当てて見つめ直して頂けなければ、それは絵に描いた餅でしかありません。
合間合間に自らの今迄の人生や生活や支えられてきた人々や様々な出来事をゆっくりと振り返って頂きたいと切に願います。
今迄なんとなく当たり前だったことも決して当たり前ではないはずです。
あせることはありませんが、今迄のことやこれからのことをゆっくりと見直して頂く時間を作ってみてくださいね。
そうしていく中であなたに新たな気づきがあるでしょうからね。
質問者からのお礼
何故、仏様にならなければいけないのでしょうか。
そうしなければ地獄があるからですか?
否定しているわけではないんです。
単純に、何故だかわからず。
耐えれば人が喜んでくれるのでしょうか。
人が喜んでくれる自分になれたら嬉しいと思います。
有難うございました。
kousyo Kuuyo Azuma様
お返事有難うございます。
上手く行かない時は目を瞑っていて何も見えていないのかもしれません。
命は大切・ご縁は大切・仏教の教え・・全部今の自分には心からそう考える事が出来ず辛いです。
でも、ただただ、信じていてみます。
大塚 芳明様
仏様に近づけるような、何か出来る自信はないですが教えて頂いた事を心に留めて生活してみます。
有難うございました。