楽しいとは何でしょうか
お世話になっています。
相談に乗っていただき、心の悩みのところどころが回復しています。ありがとうございます。少しだけ、また課題に当たりご質問させていただきたく思います。
最近、仕事の後に勉強をしています。気づけば仕事と勉強で1日が終わっています。どちらも楽しいのですが、楽しいというよりは義務感のような、でも自分を支えるものという認識で微々たる成長のために毎日取り組んでいます。ですが、ふと、気づいたらもう5月です。仕事と勉強はやりましたが、遊びや自分が楽しいと思うことがよくわかりません。遊びをする時、少し高いハードルを感じます。おしゃれなども罪悪感を感じ、存分に楽しめたことがありません。人生はバランスだとおっしゃる方がいましたが、楽しさもきっと必要なことだと思います。でも楽しさを優先すると自分が成長しない気がしてしまいます。楽しいを欲している感情と人生の焦りがぐるぐると混ざって、気づいたら一年終わってしまうんじゃないかと思っています。
もっと力を抜いて、人間らしく、楽しく生きていきたいです。ご教授願えますと幸いです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
同時に手にしなくても、今やりたいことを大切にしたらいい。
「楽しい」とか「幸せ」という基準も、年齢や経験、また関わる人や社会によって、変化していくものだと思います。実際に私も、そうでしたよ。
何でも吸収できる若い頃は、勉強をして得た知識が成績という評価に繋がる喜びが楽しかったり、学校での人間関係や友達との付き合いが幸せだと思っていました。
社会へ出て、いろんな人と出会って、多様な価値観に触れると、もっと知りたいという好奇心が楽しいと思えたり、大切な人ができて失いたくないと思うほど、今この瞬間、手にしているものがあることに幸せを感じられるようになりました。
「遊び」も、ひとりで満足できる楽しみと、誰かと一緒だから伝わる・通じ合う楽しさがあったり。
あなたの求めるものも変化していくでしょうし、バランスといっても同時に手にしなくても、何かを得た先にある楽しみもあるんじゃないかな。
楽しむことは、欲望を満たすことばかりではなく、「幸せ」だと実感することが「楽しむ」ことでもありますよ。
オシャレが自信になる人もいます。遊びが広い世界に繋がるかもしれない。
今、万博が開催されているでしょ。いろんな世界の歴史や文化、食や暮らし、人やオシャレに出会って笑顔になっている人を見るのは、羨ましいわ。楽しむって良いなって。大人になって、心の豊かさに触れると、楽しいなって思えます。
あなたも、「楽しいとは何か」と言語化にこだわらず、今やりたいことを大切にしたら良いんじゃないかしら。
いろいろあっていいのです
拝読させて頂きました。
あなたが楽しいということについて悩んでおられるのですね。あなたがそのように生きることについて悩んでいることとてもわかるように感じます。お気持ちを心よりお察しします。
そうですね、楽しいって何でしょうね。生きている中での楽しいことや嬉しいことって何でしょう。考え始めるとなかなか答えは出てこないかもしれません。
おそらく十人十色のように人それぞれに楽しみは違っていていいのではないかと思います。
自分でやっていて楽しいと感じることでいいのかとも思います。
今あなたは仕事でも勉強でも頑張っておられるのですよね。おそらくそういう時間をかけていくことであなたは少しずつ成長し続けているでしょうし、次々と自分では気がつかないうちに沢山のことを吸収してステップアップしていっています。
合間にふと振り返ってみると自分が以前の自分とは違っていて様々な知識や能力が広がり成長していることや様々なことに対応できるスキルがアップしていくことも楽しいと感じるでしょうしあなたの中で喜びも湧いてくるでしょうし、自身にもつながっていくのではないかと思います。
また全く違ったこと例えばスポーツや音楽を観にいって感動したり、大自然の中で清らかな空気や若葉に囲まれて健やかな気分を味わうことも楽しみや豊かさをもたらしてくれることにつながると思います。
何をしていくことが善いのか楽しみなのかはそれぞれ自由であっていいのです。その年齢や状態によっても大きく変わっていきますからね。
あなたが10年後20年後30年後はまた楽しみも変わっていくと思います。
あなたがおっしゃるように力を抜いて、人間らしく、楽しく生きて下さいね。
あなたがこれからの未来を沢山の出会いやご縁に恵まれ健やかにご成長なさっていきます様に、心から豊かに充実した人生を楽しみながら生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。至心合掌
楽しむ(味わう)ときは楽しむ(味わう)
楽しいとは、欲望(もっとやりたい、ずっとやりたい)を誘発する刺激のことではないでしょうか。
例えば、ポテトチップスを一口食べたら「もっと食べたい」とさらに食べたくなるのも「楽しい」です。
本(難しい勉強の本も含む)を1ページ読んで、さらに次の行も読みたいと思うなら、その瞬間は「楽しい(欲)」が生じていると言えますね。
しかし、後で振り返って考えてみたとき、ポテトチップスは太るので食べたことへの罪悪感の概念が生じる、勉強も難しいのでテキストを読む前や読んだ後には「難しい、勉強は苦痛だ」という概念が生じます。
そのような概念は、食事や読書の時間を大ざっぱに考えて後付けした観念的な評価かもしれません。
しかし、「のび太君は成績が悪い」という概念とは別に、のび太君にもたまに正解する問題があります。
「楽しい」も、日常生活を秒単位に細かく見ればけっこう頻繁に現れている(のび太君の正解みたく)のです。
ですから、テストの採点が100点中5点でも、その5点の「楽しい」をちゃんと喜んで味わえば、人生には頻繁に楽しいこと(小さな幸せ)があると気づけるかもしれません。
ということで、罪悪感を抱く気持ちを(怠けに打ち勝とうとする向上心を)否定する必要はありませんが、せっかくの休日ならば楽しむときは楽しむ、どうせ服は買わなきゃならないんだからせっかくなのでファッションも楽しむように、小さな幸せを肯定しても良いのではないかと私は思います。