生きる意味とは何ですか?回答受付中
この度は相談内容を確認くださいましてありがとうございます。
32歳女性、既婚者で子どもはおらず主人と2人暮らしです。
いつからかがわからないのですが、ふと気づくと死にたいと思うようになりました。そう思うようになった明確なきっかけは特に無いように思います。
お腹が空いたな位の感覚で「死にたいな、いっそのこと誰か殺してくれないかな」と日々思っています。
そのせいかはわかりませんが、人として生まれ誰かと関わりながら生きていかねばならないことが苦しいです。
漫画やアニメの主人公のように「世界を救う」などの生きる使命や意味は無く、この社会の歯車の1つにすぎない。あったとしても親が死んだ時に葬式をあげ、役所へ手続きをする。くらいしかないだろうと考えています。
それも立派な生きる使命・意味だろうと言われてしまえばそうかもしれません。
ですが、そのためだけに生まれてきたのかと思うと、何十年という人生の中の苦しみの経験と割が合わないように思います。
また、「生きることに意味を考えてはならない」と言われたこともありました。日々を過ごす中、1つ1つの行いには誰しもが何かしらの意味があって行動していると思っていたため、私にはこの言葉がひどく酷な言葉のように感じました。
(なぜそんなことを言ったのかを聞かなかったため、私が言った人の意図を正しく汲み取れていないだけなのかもしれません。)
私の考えは生きたいと思っている人をとても不快にさせてしまう考えだろうとわかっています。ですが、私には生きる意味が分かりません。
生きる意味とは何でしょうか?
もしくは、そもそも生きることに意味を見出そうとすること自体が間違っているのでしょうか?
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私たちは今日もなにかの『歯車』のひとつです
内容、拝読いたしました。
Jikaiと申します。
かさはらさんのおっしゃっている事、とっても共感いたしました。問いを投げかけてくださってありがとうございます。
私も日々
•なんのために自分は生まれてきたんだろう
•生きている意味って一体、なんだろう
よく1人で考えては、結局答えがわからず
ぐるぐるしています。笑
その上で、わたしの考え方を置いていかせていただきますね、私は今はこう考えています
確かに、生きる意味や理由はわからない。
だけれど、これといって居なくなる理由もないよね
という事です。
かさはらさんのおっしゃる通りで私たちは
社会の歯車のひとつに過ぎません。
たぶん、自分が居なくなったってこの社会は顔色変えずに廻っていく。
だけれどこの地球上で『歯車』ではない存在ってあるのかな?と私は思うのです。
どんな、お金持ちの人や地位名誉がある人も人生を謳歌し楽しそうに生きてる人も
『なにかの歯車の一部』に過ぎません。
近頃は
『社会の歯車』
って言葉の使われ方って自らの後ろ向きな心情を表現する時に使われることが多いように
思います。
だけれど『歯車』というのはなにかの大きな動力を促す為に必要不可欠な訳です。
私たちの身体は細胞で構成されています。
その細胞たちは私たちの身体を動かすための『歯車』です。
例えば、心臓を例に考えてみると
いちいち私たちは
『心臓よ動け!!』
と指示していないですよね。
自分の意識に関係なく心臓は鼓動を打とうとしている。
血液も同じです。
『血よ 体内を巡れ!』
と指示しなくとも血液たちは精一杯体内を巡ろうとしてくれる。
かさはらさんの意思に関係なく
かさはらさんの心臓や血液や細胞は生きようと今日も動いている。
このように思いを馳せることができると
生きる理由はわからないけど、この自分の
身体の内側の細胞たちは今日も生きようとしてくれている。だったら自分も生きてみようか。大変だけど。
と私は思っていますよ^^
どちらにせよこのような
『答えのない問い』
を考えることが出来ている事自体、私たちって幸せなのかもしれませんね。
生きたくないという気持ちも煩悩
まず、生きたくないという気持ちの正体を知りましょう。
煩悩といえば欲と怒りと無知の三種が有名ですが、、、
喉が渇いて仕方ないというような欲とも怒りとも区別がつきにくい本能のような意味での煩悩・渇愛という分類もあります。渇愛も三種類です。
一つ目の欲愛は、食べたい、飲みたい、などの直接的物質的な渇愛です。食欲だけでなく性欲もここに入ります。
二つ目の有愛は、死にたくない、生き続けたいという、いわゆる生存本能です。
三つ目の非有愛は、二つ目と逆に、生きていたくない、早く楽に死にたい、という非生存欲です。悟って、死にたくないという気持ちもなくなったというのと別で、生きたくないという、いわば無気力の煩悩です。
次に、この煩悩のデメリットを考えましょう。
わざわざ悪行為をすることも少ないでしょうけど、善行為をしにくいのが難点です。
社会の歯車として淡々と生きるのは欲が少なそうでいいのですが、歯車も摩耗して使い物にならなくなります。常に点検修理しながらしっかり役目を果たすことが大事です。特に、この一生が終わった後、次につながる善業・功徳が少ないと、次の生で苦労しがちになります。人のためというよりまず来世以降の自分のために頑張って善に励むほうが安全だと思います。
最後に対処法を考えましょう。
生きたくない非有愛は無気力性の煩悩ですから、まずよく観察して、今生きていられることを喜ぶ、その喜びを周りに広げるのが、一策だと思います。
この一生を振り返ると、親のおかげで人間に生まれた、ほっとかれたらすぐ死ぬところを育ててもらって生き永らえた、学校に行かせてもらって教育を受けることができた、一人前になって世に出ることができた、食べ物も飲み物もその生産や流通も家や電気やガスなどインフラも、たくさんの人々のおかげで何不自由なく暮らせるようになっている、などなど、親、先生、周りの人々のおかげがよく分かります。
生きていなくてもいいかと思いつつも、じつは相当な綱渡りで辛うじて生き永らえてきたのです。そんなこと頼んでないのに、と考えては借金踏み倒しみたいで考え方が損です。では、自分も何か少しお返ししておいた方がいいなあ、と、頑張ってみると、頑張る気持ちがすでに善行為で自分の功徳になります。
まず親の恩に、全額返済は無理だけど少しでも報いるのが良い生き方だと思います。
一瞬一瞬を生きて下さい
拝読させて頂きました。
あなたは今ふと思うと自分の生きる意味は何だろうかと悩んでしまうのですね、自分が生きることの意味を感じられずふと死にたいと思ってしまうのですね。詳細なあなたのことや心の中はわからないですけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
あなたがそのように思ってしまうのも何だかわかるように感じます。自分は何故生きているのか、自分の生きる意味や目標って何なのだろうか、辛い思いをしながら生きなければならないのはどうしてなのかと思い悩んでしまうこともあるかと思います。
生きる中では何故こんな思いしなければならないのかと、こんな思いをするならばもう命終わってしまってもいいのではないかと思うこともありますからね。
確かになかなか生きる意味は見つけることできないかもしれませんし、確かに苦しむことも多いかもしれません。
しかしあなたの命も人生も限られたものです。もしかしたら今この次の瞬間、私が回答しているさなかでもあなたの命は終わりを迎えているかもしれません。或いは明日かもしれません、3日後かもしれません、1カ月後かもしれません、3ヶ月後かもしれません、1年後かもしれません、3年後かもしれません、5年後かもしれません、10年後かもしれません、30年後かもしれません、50年後かもしれません、科学が進歩したとしてもおそらく100年後には亡くなられておられるでしょう。
今はわからないですが確実に死を迎えます。その時に刹那、あなたは自分が生きてきたことを振り返りあなた自身の生きる意味を見出すことでしょう。あなたにとってあなたの人生はどんなものだったのか、あなたと関わった方々はあなたにとってどうだったのか、あなたのために無限に与えられたものはあなたにとってどうだったのかと様々感じることでしょう。もしかしたらとても悔やむこともあるかもしれません、悲しみやさみしさを感じるかもしれません、或いは心から感謝の気持ちを感じるかもしれません。
死は確実にあなたに刻一刻と近づいています。ですからあせることはありません、どうか一時いっとき、一瞬一緒を大切に生きて下さい。
あなたの人生が豊かに充実した時でありますように、様々な恵みを受けますように切に祈っております。
またあなたのお気持ちお聞かせ下さい、あなたを心よりお待ちしております。
質問者からのお礼
この度は回答くださいまして誠にありがとうございます。
いただいたご回答を拝読させていただき、気持ちが軽くなりました。
今後またふとした瞬間、同じように考えてしまう時があるように思います。ですが、その時はいただいた回答を振り返り自分なりにゆっくりと向き合っていこうと考えています。
【Kousyo Kuuyo Azuma 様】
「一瞬一瞬を大切に生きる」という言葉がとても心に響きました。過去を振り返れば若気の至りということを理由に、大切に生きていない時の方が多かったように思います。
また、今まで「死にたい」という言葉を出すことが怖く一切出してこなかったのですが、思い切って文章にしこうして回答をいただけたのは、死を考えなければ得られない気づきであり生きることに向き合う良い機会となりました。
100歳近くまで生きられる現代において30代で得られたこの機会を忘れず、いずれ来る死の瞬間に「あぁ、なんだかんだで生きていてよかったな」と辛かったことも笑い飛ばせる人生となるように大切に生きたいと思います。
【Jikai 慈海 様】
「歯車でない存在はいるのか?」「大きな動力を促す為に歯車は必要不可欠」この2つの言葉にはっとしました。
私の好きな漫画で「はたらく細胞」という体内細胞を擬人化した漫画があるのですが、その漫画の細胞たちも身体のために日々一生懸命働いて生きていました。
これは細胞だけでなく、食べ物・家族なども同じで彼らのおかげで生かせてもらっていたのだということにも気づきました。当たり前になりすぎてすっぽり抜けているだけでなく、感謝の気持ちさえも忘れてしまっていました。
生きる意味を見つけることには時間がかかるかもしれませんが、まずは感謝の気持ちを大切にして生きてみようと思います。