訂正
仕事の打ち合わせ、人間関係の中で自分の意見や考えを言う事、提案する事ありますよね。
言った後で、他のひとの意見を聞くと時々、自分の発言した事は間違っていたり、良い方向性ではない、という事があったので謝って訂正した事があるんです。そのとき、まわりから言われた事は、自分が良かれと思って発言した事は最後まで言い切れ、誰かの言葉で揺らぐな、間違いだと思っても言い切るのが人間だ。でした。
自分の発言に責任を持つ事は当たり前です。でも、間違った考えを分かっていて突っ走るやり方が今でも納得がいかないんです。突っ走るんだったら、皆んなで話し合う理由はないじゃないか?が私の考えです。
やっぱり甘いのでしょうか?私は。
内容を細かく書けないので、アドバイスしようがないですよね。絶対に言ってはいけない一線を越えていないので、知識不足、と恥じをかくぐらいと思っているのですが。
謝る時は謝る、訂正する時は訂正する、が信頼に繋がると信じているのが違うのかなぁ。何でも馬鹿正直が良いとは思わないけど。
昔は30代後半にもなれば、いろんな知識があって無敵なほどに大人だと思っていました、私。
いろんな事が難しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意地を張らないこと
様々な意見により、提案したものを変更訂正することもよくあることでしょう。
自分1人の考えからは、偏っていたことで見えないこともあります。様々な意見を聞いてその上で訂正する方がいいと思えば素直に訂正する。意見をいただいたうえであなたの考えの方が良さそうなら、意見を付け加えて話を通す。
頑固にならないこと、意地をあはると本当にやるべきことがブレてお客さんが損をしたり弱者が辛い思いをすることになりますからね。
間違っていませんよ
ぴょんこさん読ませていただいてあなたのいうことがすごく正解だと思います。私も会社員を19年してきましたし、また坊さんになってからも勉強不足、勘違いから間違えたことは当然数多くあります。日々反省です。そして間違えたと気がついたとき、いかにその間違いを認めること、謝罪することそしてどう訂正するかその大事さを痛感する日々です。ですからあなたのご意見はごくごく当たり前だし「謝る時は謝る、訂正する時は訂正する、が信頼に繋がる」はその通りだと思います。間違っていたと気がついても押し通すなど言葉に責任を持つこととは全く違います。自分の考えにこだわらずより良いと思うならそれを進めれば良いのです。大事なのはより良い方向に進むことですから。あなたの言う通りです。私は50代末でも間違いと訂正と謝罪だらけです。
追伸 どうぞ、疑問に感じたらどうぞこれからも確認してみてください。たぶん経験上から言えば周囲から間違っていると言われそうかな~と疑問に思われたことの多くがハスノハで聞いてみればあなたの方が正しいのではということ多かった思います。
追伸 お待ちしてますよ。
質問者からのお礼
邦元さん
どの選択がベストか、素直に冷静に見極めたいと思います。ベスト、がいろいろ難しいところもありますが…。
憲章さん
おはようございます。
私、ちっちゃい頃から相談できる人がいないから不安でした。誰かから、お前は間違っている、バカなのか、とか言われると、そうなんだ、と思うようになって自信もなくて肯定する事もできませんでした。
今は憲章さんやハスノハのお坊さん方がいて、私は子どものようになってしまっています。恥ずかしいです。
憲章さん
こんばんは。
有難うございます。
今までは正しかろうが間違っていようが自分で判断しなければならなくて、相談できるひとがいなかったから。恥じをかいたり失くすものも多かった。
今はハスノハのお坊さん方がいます。だから安心です。
これからも相談にのってくださいね。