未熟な親
子供が苦しんでいるのに何を言ってやればいいのか どうしたら一番いいのかが解りません。
自分ならどうするとか、お母さんはこう思うよ 等と言葉をかけるのが恐いのです。
自分をもてあまし、悩んで泣いて居る我が子を目の前にして 一緒に泣いてしまうダメな親です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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時に共に涙を流してくれる親は信頼できる
子供が悩んでいる姿を見て、否定するより、ともに涙を流してくれる親はダメな親ではないですよ。苦しんでいるのに追い詰めないで共感してくれる親は信頼できます。
お子さんの悩みをとことん聞いてあげる、それだけでいいと思います。
人として間違った行為、例えば周りの人を傷つけるようなことをしていたら、それは導いてあげる必要はあると思いますが、それ以外はとことん否定もせず聞いてあげてください。
身近にとことん味方になってくれる信頼できる親の存在があるということは、子供にとって心の底から安心できるでしょう。
失敗してもいいや、大丈夫、身近に信頼できる家族がいる。そう思えるでしょう。
言葉を選ぶより
こんばんは。質問を遡って読ませていただきました。察するところ、一年半前の、お嬢さんの件と繋がっているのかなぁと思います。
私の娘も高校生で、何かと(私なりに)難しさを感じております。特に自分は男ですし。
なので、ボンヤリとしてはいますが、「セリフよりメッセージを発する」方が良いのかな、と思っています。メッセージというのは、言葉上の受け取りではなく、相手の解釈として「親はこう言いたいんだな」と自ら読み取れる、その元になる行動です。
然らば、そのメッセージとは何でしょう。「いつまで、どうなるか具体的には私も分からないけれど、きっと何とかなるよ」ではないかと思います。
理由はありません。それこそ「理不尽な話」です。世の中に理不尽さがあること自体は、お嬢さん認めているのでしょう?理不尽の使い方はこれなのです。「分からないけれど、きっと大丈夫よ」という根拠のない前向きさは、親の示すべき態度であると思いますよ。
もう一つは、「貴女がどんなになっても付き合うよ」ということです。友達は離れてしまったkも知れない。また新しく友達ができているかも知れない。けれど、親は一生通して同じ親なのです。一生同じような関係で生きていく相手なのです。
「具体的に、どんな態度なのですか?」と貴女は問うかも知れません。けれど、これはメッセージの問題です。心に持ち続けていれば、それでよいのです。何となれば、貴女の一挙手一投足がメッセージの媒体です。
共に泣き、共に過ごす。どんな事があっても離れず、根拠なく前向き。そうでなけりゃ、自分を改善していく事だってできません。「才能ないから・私は昔からこうだから」は何の役にも立たない言葉です。
理由を探さなくてもよいです。「私は貴女の親だからね。」それだけで十分だと思います。
そして、娘さんから何かのアプローチがあれば、真剣に受けてあげてください。彼女の人生を歩むのは貴女ではありませんが、それを手助けすることはできる。独り立ちを助けるのは、親の大事な務めだと思いますよ。
質問者からのお礼
心にしみるご回答を有り難うございました。