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仕事30歳離れた事務員(Aさん)を怒らせてしまいました。

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有り難し有り難し 23

こんにちは。

私は事務員として働いています。
従業員は100人ほどの会社です。

社内報を担当しているのですが、
今月号は社員旅行についてみなさんに
書いてもらおうと言うことで、
去年と同様会社の中で平等に選ぶため、
あみだくじで選びました。

そこでたまたまあたってしまったのが
別の場所で勤務をしているAさんでした。

Aさんは物事をはっきり言うタイプで
テキパキしています。

原稿をお願いしたところ、

なんで私なの?
あみだくじとか聞いてない。
書けない。
他の人に頼んで。

とのことだったので、

1人1人の負担を減らすために
たくさんの人数に書いてもらっている。
去年と同様あみだくじにした。
と言うことを伝えました。

しかし書けないとの一点張りでした。

だんだんなんで私が
こんなに言われないといけないんだろう。
と思いどんどん腹が立ってきました。

そこで、私は、
他の人達には了承をもらっている。
もう1回あみだくじをやり直すことは
他の了承をしていただいた人に申し訳ないから
出来ないので、
そんなに書きたくないのなら
他に誰か探してください。
と言ってしまいました。

Aさんは、納得はしていなかったものの、
考えるとのことでした。

電話で話しましたが、
私の声は確実に震えており涙がでそうでした。

そこで思ったのです。

私は間違ったことは言っていない。
でも、Aさんに失礼な
言い方をしてしまったのではないのか?

これから、会うことだってあるし、
電話の時も、とても気まづいです。

Aさんとは上手くやっていかないと
今後、働き辛いのではないのかと、
急に不安になってきました。

私はどのようにすればよかったのでしょうか?
そして、これから、どんな風にAさんと
接すればいいのでしようか。

アドバイスよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間関係とはただのやり取りがあるだけ

むずかしく考えずに。
人間関係というものはあって、話すというだけです。
あーなんじゃないか、こうなんじゃないかという、余分な「ひれ」がついているだけです。
物事は原点はいたってシンプル単純です。
あの人がこう思うんじゃないか、って誰がやっているでしょうか。
自分なのです。
だから、あなたはアナタだけやればいい。
あなたの中でその人と接するということをやればいい。
あなたの体のある場所でしかあなたはありません。
だから、会社に行っていないときは会社じゃないので会社のことはできません。
今、自分の命のアドレスがどこにあるかを感じてみましょう。今そこに息をしているということは、そこ以外にどこにも処することはできません。
どこにも行きようも、生きようもない自分を見出して下さい。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

割り切りましょう

拝読させて頂きました。
なかなか大変ですね。そういう方の対応はとても面倒ですね。
その方が断ることは単なるワガママですね。
社員旅行のことですから誰でも義務があり、クジで決めたのですから平等ですからね。

とはいえどうしてもイヤならばやむを得ないですよね。
その様な業務的なことは割り切ることでしょうね。
考え過ぎてしまいますと振り回されてしまって他のことがおろそかになってしまいますから割り切りましょう。
よくよく冷静に考えればそのことは仕事の中で本当に重要なことではないですからね。

割り切りしっかりと処理して次の仕事に集中しましょうね。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
難しく考えずに、仕事をしていると割り切ってこれからも頑張っていきたいと思います。
アドバイスいただきありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ