私が母を殺してしまうんじゃないか
苦しんでいることがあります。
以前ここに書いたように、父親と母親から虐待を受けてきました。相談をするのには物凄く勇気が要ります。私が責められるからです。私が叱られ私が怒られるからです。24年間絶え間無く暴力、人格否定をする父親や、傍観し続けた母親は一言も叱られたことはありません。お前が変われ。お前が努力しろ。上から目線で何様なのかと、ここのお坊さんにも言われました。本来叱られるのは、虐待をする親ですか、虐待された子供ですか。可能性があるからとか、色々言われますが、ならば喧嘩両成敗ということで私が言われた幾千万の責めや叱りの言葉を両親にもかけてほしいです。虐待をする親、虐待をされた子供。大人は虐待する親に「子供に暴力なんて親失格だ!」と声高に叱り飛ばせるものであってほしい。親を堂々と叱られる大人であってほしい。虐待された子供をさらに叱って追い詰めることに違和感を感じてほしい。
話が逸れました。
今から話すこともあんたはもう子供じゃないとか甘えとかまた色々言われると思います。
母親についてです。母親は、私と弟が父親に暴力をふるわれていても、我先に逃げて傍観していました。部屋を漁られて宝物をめちゃくちゃに壊されても、人格を否定されても、母親は角に隠れて止めたことはありません。それどころか母親も八つ当たりに暴力をふるい、外に何時間もだしたり、いろいろ両親そろってお気に入りの罰をしました。しかし母親は根っからキチガイの父親とは違いました。良心もあり、反省し始めました。ここ4.5年は、私にたくさん愛情を注ぐようになりました。私は今も続く父親からの虐待の怒りを母親にぶつけています。母親を責めて責めて愉しんでいるのです。我慢し続けた怒りや哀しみが吹き出し、母親が私をストレスのはけ口にしたように、父親が私をいびるように、私は母親を虐めているのです。私は今心身ともに虐待の影響でめちゃくちゃです。「こうなったのは誰のせいだ!」といえば、母親は「すみませんでした。」と言うのです。私はとんでもないです。まるで父親のようです。化け物のようです。母親をいたぶって、泣かせて、どんな要求も実現させます。母親はずるい。父親から守らなかったのに、誕生日は必ず祝ったり、お弁当も欠かさない。私はずるい。反論できないとわかってて、残酷ないたぶりをして、反省して、母親に優しくします。私は頭がいかれたの?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当に今すべきことはなんなのか
ひろさん
自分の正直な気持ちを問いかけること、大変勇気の要ったことだと思います。
ひろさんの文章全体から怒り、悲しみ、苦しみ、葛藤色々なものを感じました。
私は、いかなる理由があろうと、叱られ非難されるべき存在は24年間絶え間無く暴力、人格否定をする父親であり、それを傍観し続けた母親だと思います。
それだけでも辛く苦しかったのに、相談した人からも、お前が変われ。お前が努力しろと、ひろさん自身を責められ二重三重の苦しみで本当に辛かったと思います。
そして、“私は母親を虐めているのです。” “私はとんでもないです。まるで父親のようです。” “私は頭がいかれたの?”という
母親を責めてしまい、そんな自分が問題になっているとのことについてですが、ひろさん自身の過去を振り返れば、父親から暴力を受け、それを逃げて傍観していた母親、父親から守らなかったにも関わらず、誕生日は必ず祝ったり、お弁当も欠かさないずるい母親、ひろさんは、そんな母親を責めざるを得ないのだと思います。
またそれと同時に、母親を責めてしまう自分が問題となっている。自分を傷つけてきた父親と一緒ではないかと、確かに責める、傷つけるという点ではそうかもしれませんが、ただ明確に違う点があります。それはひろさんは、自分の責める心が見えて、そのことが問題になっているということです。そこが父親と全然違うところだと思います。
ひろさん自身の虐待されてきた過去を振り返ると、あなたは母親を責める心、虐める心が生じてこざるを得ない。それはしょうがありません。
しかし、ひろさんはその心が見えて問題を感じている。では一体どうすべきなのか、本当に今すべきことはなんなのかと、自分に問いかけることだと思います。
私自身は、ここに書いて有ることを丁寧に母親に伝えることだと思います。責める心があること、それと同時にその心に苦しんでいること。もっと言えば、助けてほしかったこと、守ってくれなかったのに、誕生日やお弁当のことをしてくれたのはズルイと感じていたことなどです。
ひろさんは自分の人生を懸命に生きている。そこには必ず道が開けると思います。
先ず身の安全や生活の安定
拝読させて頂きました。
あなたがご両親様から大変ひどい仕打ちを受けてこられた事、そしてあなたがご両親様への凄い怒りや恨みや呪いを心からあふれ出す程抱いていらっしゃることを読ませて頂きました。
中根師がおっしゃるとおりあなたがその様な心の状況にあるのはご両親様に重大な責任があります。ご両親様に原因があることは明白です。あなたのせいではないでしょう。
読ませて頂き正直これからもご両親様と共にいることは大変危険だと感じます。これからも恐らくは暴言・暴力・虐待はエスカレートしていくでしょう。そしてそれは命の存亡を意味します。
以前の質問にはあなたはムリと思われておられるようですが、私は速やかにご両親様と離れるべきかと思います。
お父様は明らかに人間として正常な人格をもっていません。暴力を振るうことは人間として最低ですからね。
それはその方が正常な成長をしてこなったことに原因があるのでしょう。ですから精神的にも致命的な欠陥があると想像できます。
その様な方が正常な人格をこれから持つことは余程の更生をしなければ無理です。
又お母様もその奴隷的な存在から解放されることは甚だ難しいと思います。
それぞれの方々が精神的な重度の病を抱えていますからこのままでは共倒れとなります。
或は誰もがより生命の危機の状態かと思います。
そこでは本当に正しいことに耳を傾けられる状況にあるかと言えば恐らくはムリでしょう。
誰も聞く耳を持たないでしょう。反省するフリはしても全く反省することもなく改善の見込みもないでしょう。
出来れば一日でも早くご両親様から離れることをお勧めします。
先ずは公的機関の役所や警察署や法務局に相談して生活面や金銭的な支援を受けましょう。
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken108.html
NPO法人で女性の人権の保護する法人等にも相談して保護を受けましょう。
あなたは悪くないのです、正しく生きる権利があります。
先ずは身の安全や生活の安定そして心の安定を目指してくださいね。
そしてから冷静にご自分の事を見直してください。
先ず安全に落ち着いて生活できます様心からお祈り申し上げます。
先ずは参考になればと思います。
https://matome.naver.jp/m/odai/2140438153088303901
質問者からのお礼
お言葉を下さり心から感謝します。お礼のコメントをずーっと考えに考えていました。遅くなりましたが、ゆっくり書きますね。
中根さま
大人であるお坊さんに、はっきりキッパリと、両親が悪いと言い切ってもらえて、私の24年間が肯定されました。必ず必ず、私が努力するよう強いられてきたのです。両親、カウンセラー、医者、親戚、テレビからネット、本。なぜ被虐待者側がここまで責められるのか、私は世界に潰される心地でした。筆舌しがたい苦痛に、私は絶望しました。
私が母親に当たり散らすのは、ある意味当然で自然なことだとわかりました。もちろん良くないです。しかし、殴られてカチンとくるのは人間として当たり前の反応です。理不尽な仕打ちに心から感謝する人などいません。普通怒ります。
一番良いのは家を出ること。母親のために、私は家を離れたいです。近くにいれば、なぜ虐待を見て見ぬ振りしたのか、責めずにはいられないときがあるからです。でもそれは難しいハードルが無数にあるのでゆっくり考えます。
手紙にしてみようと思います。正直嫌です。避けたいです。怖いからです。「じゃあ冷たく接すればいいの?!」とか検討はずれのこと言われるのでそれも含め悩みどころです。心理学でいうところの「対決」ですね。怖くて怖くてしょうがないです。でも渡す前に手紙にして何度も読み返し、推敲します。それだけでもきっと心はクリアになるはず。対決は治療の最後に行うものなので、心理士にも相談します。
私と、私の人生を素晴らしい言葉で肯定さて下さり、本当に感謝致します。ありがとうございます。
Azumaさま
お言葉をありがとうございます。
Azumaさまは他の苦しい方にもたくさん言葉をかけていて、どれも心がこもっていて、良い方だなあと思っています。
私も、自分のため、家族のために家を離れるのが一番良いと思います。そしてそれが一番困難なことだとも知っています。
これから書くことは、決してあずまさまを責めてません。私の考えです。
1人ぐらしは容易でしたか?
健康な方でも1人で暮し、生計を立てるのは、すぐできるくらい簡単ではないと思います。
家が病的で、私も病気ではとても困難でしょう。
公共機関を実際利用したことはありますか?
利用した人のその後を知っていますか。
私は公共機関に助けを求めて、その後幸せな人生を手に入れた人を知りません。
ストーカー被害を警察が解決してくれて、今は何の心配もなく暮らせる、という女性も聞きません。
シェルターに相談したことがあります。「即座に大学は退学させ、携帯はとりあげ、複数人雑魚寝、毎日3000円かかり、外出は一切できない。」この言葉のまま言われました。保護されてるのか監禁されてるのかわかりません。保護は、安心と安全を提供するのではないですか。保護を求めた先に、私の幸せはない。だから日本にはこんなにも絶望と自殺が溢れているのではないですか。
暴力を振るう人と、振るわれる人。振るわれる人が逃げてきて、外出も許されないのはおかしいと、言える人はいないのですか。
暴力を振るう人がとっつかまって、刑務所に入るのが道理です。振るわれる人は堂々と安全な家にいるのが正しいです。
ほとんど責めてますよね、ごめんなさい。
私は公共機関に大学を辞めさせられるなんてまっぴらごめんです。そして保護した人が何をみて、どんな思いをしたか知ったとき、なんの未来も感じません。監禁する相手が、親から国になるだけです。