滋賀県の岩間寺について詳しい方お願いします。
お忙しい時期に恐れ入ります。
岩間寺に約19年前に初めて参拝させて頂きました。
その後私が介護職へ行っていたときかその前に今から10年前ぐらいに
参拝をさせていただいた時に
住職様が一人一人に話しかけて下さり
お祈りをしてくださったことを思い出しました。
そしてたくさんの参拝者がおられました。
最近久しぶりに岩間寺へ参拝しましたが、
全く変わってしまった感じで違和感がありましたが
そんなものかなと思いました。
いつも観音霊場へ行くと自然と私が笑顔になるのですが
今回は顔が引きつっていました。
帰宅途中に調べるとなにか大変なことが起こったというのが
分かりどうしてなのかと思いました。
詳しくご存じの方教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
観音様は変わりません
岩間寺の雰囲気が変わってしまったのはおっしゃる通りですね。
千手観音様は全く変わらないのに、どうして雰囲気が変わったのか。
平成19年に前住職が遷化された後に、一時、尼僧様が居られたという話は聞きましたが、僧侶の資格の問題等で、結局は寺を出ざるを得なかったようです。その後、本山から派遣された方が来られお寺をお守りしているようですが、檀信徒を巻き込んで裁判沙汰になるなどで、お参りする方が少なくなり現在のような姿になったと聞いています。詳しい経緯は「岩間寺檀信徒のページ」「岩間寺公式ホームページ」をご参照ください。双方の主張が掲載されております。観音様も悲しんでおられるのかも。それで雰囲気が今一つなんですよね。
細かい実情は私も詳しくは知らないので、答えるべきではないかもしれませんが、詳しい方が居られたら追加してください。
いずれにせよ、雰囲気が変わったというのは寂しいことですよね。けれども、観音様のご慈悲は変わりませんので、しばらくはお参りする私たちが守っていかなければという気持ちで、参拝されたらいかがでしょうか。
今のネット社会の縮図を見た
こんばんは。
お参りに行ったお寺が、昔と雰囲気が違っていたのですね。残念でしたね。
さて、「自分の気に入らない事があった」→「その人について調べる」→「本人は触れられたくないだろう出来事をみつける」→「もっと知りたいと思う」「拡散させる」→(事実と異なる想像や思い込みまで拡散)
私もこれをやられました。やられた方はかなりキツいです。
今のインターネット上でも、こういう行動がよく見られると感じました。
このような答えを書いて、あなたは私に反感を持ってしまったり「そういうつもりで質問した訳ではない」などと言われてしまうかもしれませんが、やっぱりこのご質問は、当事者であるお寺さんの気持ちを傷つける可能性のあるご質問だなぁと思い、あえて回答させて頂きました。きっとそのお寺さんも批判を受けながら問題を抱えながら頑張っているんだと思います。また雰囲気が違うとあなたが感じた原因は過去の事には関係ないのかもしれません。ですから是非、「どうなっているの」「何でなんだ」などとあまり詮索しようとしないで、静かに温かく見守ってあげてくださいね。
質問者からのお礼
柴谷宗寂様 大変答えにくい回答に答えて下さりありがとうございます。感謝です。
鳳林寺光禪様回答ありがとうございます。諫めて下さり、その通りに思います。
でもその前に千手観音様に諫められています。それはおみくじです。
「夕立の 雨 やまなくに 日はくれて 行きなやみ たる 山の坂道」 と。
ただ これについては色々と考えさせられるのです。
どのような弁解を載せても仕方ありません、私自身もその因果を背負い書いています。
私にも当然の報いもあるということも 口では言うの簡単ですがそのようなこともあることも
当然であると思い書いています。
光禪様 そのような書き込みは最初で最後にいたします。
申し訳なく思います。
泥の中に光や学びがあるのではないか
またこれ以上泥をかき回すことはしないが
闘いがあることを知らず、闘いの結果も知らず 知らぬ存ぜぬ と逃げる気はなれない
両者にとっても本当は大切な場所であることは変わりはない。
ただもし参拝中に知っていれば面と向かい聞いたと思う
和解も歩み寄りも生きている時にしかできない。
生きている時にしかできない事って沢山あるが
結局自己の内なるものにトラウマがある。
そのトラウマが癒えるのには
真実とは何かそれらの事柄に対しての和解。許すということのような気がする。
結局人と争っている様に見えることは自分の中の何かと争っているのではないかとか