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社会不適合者には死あるのみ

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有り難し有り難し 223

連続投稿ごめんなさい。けれどもう限界です。遺書のつもりで書きます。
幼少期は目立ちたがりで、突飛な行動をしては周囲を困らせ、結局は自分しか見えていない性質によって嫌悪されました。それにより賞賛を求めて更に目立つ為の行動を起こすという悪循環でした。
今でも、自分しか見えていない性質は変わっていません。心の痛みを理由に、この様な勝手な投稿を行なっていることが何よりの証拠です。
院に進めたのも、ただ苦しんでいたことが理由です。苦しんで苦しみ抜く過程を重視し、必要としてくれる特殊な環境によって許されただけです。
しかし社会ではそれは許されません。まともな家族は私の弱さを許しません。そして社会はまともになれない人間を生かす余裕がないので、弱者は淘汰されます。
生きることは辛いけれど、私は身体だけは健康なのでまともな人と同じフィールドで戦うことが要求されます。しかし私にはそこで生き残れるだけの能力も体力ももうありません。でもまともな人から見ればこれは甘えなんだそうです。
現実を見なければ心は保てますが、現実を見ないと生きることが許されません。
私にできることは、こうした弱者の嘆きを積み重ねて凄惨な自殺をし、社会問題になることだけです。こうした大きな問題が起こらなければ社会はその歪みに気づかず、問題になっても結局私にが悪いことになりそうですが。
気力も体力も他人の言葉を受け入れる余裕もない私のような人間に、それでも「生きていていい」と言えますか? 「生きていて欲しい」と言えますか? 心を大事にしてくださるここならまだしも、現実社会ではあり得ません。だからもう死にたいのに、死さえ解放ではないのです。生きていても死んでも苦しいだけ。もう嫌になります。
これからの世界は悪くなるだけです。生まれて来ることは最大の不幸です。永遠に終わらない存在という苦しみから逃れることは出来ず、ただ苦しんで死んで生まれ苦しんで死ぬことの繰り返しがあるだけ。
そもそも、生きることが嫌になった時点で人生終了です。生きていることを喜べなくなっては社会が成り立たないので、みんな気付かないふりをしているだけです。
奨学金も借りていますが、返せる気がしません。30までに正社員になれなかった人間は死ぬしかないらしいですが、そうなりそうです。否、もう死にそうです。私を殺したのは世界です。家族です。まともな人間です。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

社会不適合でなにが悪い。

社会なんて人間の作ったものですよ。

すべてが人間(強者)が基準です。

聖徳太子は
「世間虚仮唯仏是真」
せけんこけゆいぶつぜしん
とおっしゃいました。

世間なんて虚偽であり、かりそめのものであって、ただ仏が真実なものであるといった様な意味です。

お釈迦さまが出家をされたのもただの家出ではなく、
出世間。虚仮の世間を飛び出して、真実なるものを求めてすべてを捨てられたのです。

世間は虚仮。
その虚仮の世間で
人よりも認められたい、お金も欲しい、素敵な旦那も欲しい、退屈しないように友達もたくさんほしい。フェイスブックのいいね!もほしい。

と苦しむ私たちですが、
そもそも虚仮の世間で、
認められたって、それも所詮は虚仮。

そんなものに一喜一憂する必要はないのです。

なんで虚仮の世間に認められなければならないのですか、
虚仮の世間からはみ出してはならないのですか?

所詮は人間基準のものさし。
「いのち」は人間基準のものさしでは測れないものですよ。
仏の真実のものさしを持ってしか測れません。
私たちには測れない。ということです。

どんな自分だっていいじゃないですか、それぞれがそのまんまで生きていていいから生かされています。

世間に振り回されることなんてありません。

大きい顔して生きてください。

「仏様は私はわたしでいいから、そのまんまでいいから生かされてるんだ」

世間にとやかく言われる筋合いはないんだ!
と開き直ってください(^^)

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せっかくの機会ですから

拝読させて頂きました。
あなたの激しい苦しみや苦悩はあなたでなければ確かにわからないでしょう。とはいえあなたがこの現実の世界や社会に大いに不安や恐怖や怒りを抱えていらっしゃることはお察しすることはできます。

この世の中を生きることは苦しみです。その苦しみから逃げることはできません。それは誰しもがそうです。
あなたが悩み苦しまれることも無理からぬことでしょう。

四苦八苦の生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦全て苦しみですからね。
その苦しみの中を流転しているのが私達です。
あなたも周りも全てがその苦しみから逃れることはできません。
それは生きていても死してもです。
そしたらどうすればその苦しみから逃げられるのか、救われるのか?

それが仏教の教えです。仏様の教えです。
私達は人として生命を頂きました。それは本当に大変な事です。
無数の流転する中で人として生を享けることは巨大な砂漠の中で宝石の原石を見つけるほどに大変なことです。
そして私達は人としての生命を頂いて仏教に出会うことができたのも本当に得難きことなのです。
先ずはどうかその点を少しでもご理解なさって下さい。
その仏教の教えとは私達が今抱える苦しみから救い摂ってもられる教えです。
同様に私達自身が苦しみをから離れて完全円満なる仏となる事ができる教えです。

せっかくこの様に何度もご質問頂いておられますからぜひともこれから仏教の教えをあなたに学んで頂きたいと切に願います。

あなたがご質問なさった
「それでも「生きていていい」と言えますか? 「生きていて欲しい」と言えますか? 心を大事にしてくださるここならまだしも、現実社会ではあり得ません。だからもう死にたいのに、死さえ解放ではないのです。生きていても死んでも苦しいだけ。もう嫌になります。 」

→生きて良いのです、生きて頂きたいです。せっかく頂いた生命やご縁や仏教を学ぶ機会をどうか有効に使って頂きたいのです。そして仏教を学んでその苦しみから解放されて頂きたいのです。

どうかもう一度心を静めてみて周りを見回してください。そしてあなたの生きる道をもう一度見つめ直してくださいね。
仏教は必ずやあなたをこの世で救ってくれる教えですからね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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