家族、友人を自死で亡くしたお坊さん
当時の心境や、その現実とどう向き合い、現在どのようにして心を保っておられるのかを教えて下さい。
このような質問は大変不躾で無神経で非常識だと思います。ただ、周囲に自死者がいない方の客観的な回答(説法)ではなく、実際その苦しみを味わったお坊さんの話を聞かせて頂きたく質問しました。申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつの日かお浄土で会えるそのときまで、南無阿弥陀仏をたよりに
あなたは、大切な人を自死で亡くしたのですか?
ただの興味本位であれば、話す方は、とても苦しく エネルギーの要ることだと、ご理解下さい。
教え子を自死で亡くしました。卒業後、亡くなったと 自死であったと聞きました。(理由はここで話たくはありません。あの子の名誉のためです。これ以上、誰も傷つけたくありません。)
ただ、何かあれば、思い出します。
なぜ、死に急いだのか。
あの頃に戻りたいです。
もう一度、会いたい。
私は、問い続けて生きるでしょう。
いつの日か、お浄土で会えるそのときまで、南無阿弥陀仏を頼りに。お念仏の道を、歩ませていただくだけです。
こんな場で、自分が話したいわけでもないのに、安易に話せる気持ちにはなれません。
大切な人を自死で亡くした人なら、誰だってそうだと思います。
ご質問読ませていただきました。
私は妹を自死で失いました。
筆舌に尽くし難い。
とはまさにこの事だと思いました。
父、母は私以上なのだ。
と思うといたたまれません。
どんな死も悲しいものです。
事故で亡くなることも、ご病気でなくなることも、誰かに殺められてしまうことも。
どんな死も悲しく、哀しく、苦しく、辛いものでありますが、
自死は特殊な悲しみ、辛さがあるのは感じています。
1番は恨む相手がいない。ということです。
いや、1番自分を恨んでしまう。ということでしょうか。
母を見ていてその感情が1番強いと感じます。
もちろん私も
あの時踏み入って妹の話を聞いてやれば良かった!本人が「大丈夫」と言ったけど、もっともっと俺が無理矢理にでも「どうしたんや!」と聞いてやれば良かった!
その思いはどんな理屈を並べられても拭い去ることはできません。
今も文を打ちながら涙が出ております。
妹が亡くなってから、
私は正直必死です。
母を支えること、母と3人で少し離れたところに暮らす残りの2人の妹の事、父親のこと。
週に3日、4日は顔を覗かせ母親の様子を伺い、妹達が元気にやっているか、精神的に不安定な母親と同じ屋根の下に住む妹達の事を思うと無理をしてでも行かねば気が済みません。
それぞれがそれぞれにそんな風に家族を思っているのも同時に感じています。
最初に
筆舌に尽くしがたい。
と言いましたが、本当にちょっと書ききれません。
ただ、
100億円払っても、私の命を削ってでも、なにをしたって時は戻せず、人は生き返ることはありません。これは冷たい思考でもなんでもなく、真理です。
受け入れねばならないことです。
その上で、
中田和尚のおっしゃるように
南無阿弥陀仏で、妹の待つ、おじいちゃん、おばあちゃんの待つお浄土で再会を果たすことを心から楽しみにしています。
そして、こちらからあちらは見えない、聞こえませんが
あちらからはこちらが良く見え、よく聞こえるようです。
だから私はできるだけ、妹に恥ずかしくないように生きたいと思います。
人間みな死ぬのです。いずれは往くのです。妹は早くに往きましたが、それまで私はいのちを全うしたいと思います。
そんな私の姿を妹はきっと見て、応援してくれると信じています。
いずれ土産話をたくさん持って、お浄土に往きます。
本山で一緒に修行した同級生のお坊さんが自死しました。上山した日が近かったので仲が良かったのですが…
年に一度、お盆に他の同級生のお坊さんのお寺に手伝いで集まるのですが、その時彼のことを話題にあげて思い出します。でも普段はあまり考えないことにしています。1人の修行した禅僧が選んだ道ですから、私が横からどうこう言ったり考えたりすることではありません。世間の人には冷たいと思われるかもしれませんが、1人の禅僧と認めればこそです。
hasunohaでの私の回答で何回か彼に出演してもらいました。彼が成しえなかった分を私が少しでも代わりにやってあげられれば、彼への供養になるのではないかなと思います。でも、彼の家族からしてみれば私はあくまで他人ですから、勝手に込み入った部分を書くことはできません。さわりだけです。
質問者からのお礼
中田三恵様
辛いことをお話して下さりありがとうございました。悲しい記憶を思い出させてしまい申し訳ありません。
「何かあれば、思い出します。
なぜ、死に急いだのか。
あの頃に戻りたいです。
もう一度、会いたい。」
「私は、問い続けて生きるでしょう」
今まで己の感情だけが全てで、あえて遺される人の気持ちを考えないようにしてきました。
けれど、やはり、今一度家族のこと、遺される人の苦しみをゆっくりと考えてみたいと思います。
大慈様
こんな無遠慮な質問に答えて下さりありがとうございました。
「彼が成しえなかった分を私が少しでも代わりにやってあげられれば、彼への供養になるのではないか」
3年前、誰よりも私を可愛がってくれた叔父を自死で亡くしました。不治の病の末の鬱病です。深い悲しみと同時に、死んで苦痛から解放されたと羨む自分もいます。
彼を想うたびに複雑な気持ちになりますが、私はまだ何か出来ることがあるのかもしれません。何
大乗様
何度も読み返しました。涙が止まりません。
私には2歳上の兄がいます。私とは性格も能力も真逆で、憧れている優しい兄です。
自死後の事、自分以外の事は考えないようにしていました。とにかく何もかも終わりにしたい、しなければと。
けれど数日前、別の方の自死関連の質問で、妹を自死で亡くしたという大乗様の回答を見かけ、勢いこの質問をしました。
じぶん
皆様のお言葉を繰り返し読み、何とか別の道を探すよう努めたいと思います。
皆様回答ありがとうございました。
途中で投稿してしまい追記という形になってしまいました。申し訳ありません。