とうとう薬に頼り始めてしまいました。
取り返しの付かない罪を犯しました。
身の置き所がなく、夜道を一人歩きました。
こんな私を見て、母も心身共に病んでしまいました。
もう限界だと感じました。
医師に精神安定剤を貰いました。
罪も償わず、私は自分可愛さに逃げてしまったのです。
昨日一錠だけ薬を飲みました。薬が効いたのか息苦しさ、動悸は解消されました。薬を飲んでいない今日も息苦しさ動悸はありません。今日は朝遅くに起き、昼寝までしました。もう薬は効いていないはずなのに。ただ肉体的な心の苦しみを伴わない、何か変ないいようのないもやもやした感覚があります。発狂する気持ちはどうにか押さえています。
刑法で罰せられない重罪を犯したときの罪の償い方がわかりません。
一生、生き地獄のような日々を過ごすことが償いになるのか?
ただこれ以上母を苦しめたくありません。
母から、苦しむあなたを助けてあげられずごめんね、といった手紙を受け取りました。他の家族に話せない分、母にばかり頼ってしまっています。
母の前では元気にと、頑張ってみても2日と続かず。罪を犯しておきながら
本当に元気になることは許されるのか、許されるわけがないと自分に言い聞かせています。
犯した罪を背負い一生苦しむべきか、母のために元気になるべきか、
どちらのために生きていけばいいのか?どうか教えて下さい。
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回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
後悔の思いを、他の命を救うことに向けて下さい…
あなたのその苦しみが、あなたの過失によって愛犬を失ったことから来ているのでしたら、それは愛犬のことを思っての一面はありましょうが、別な見方をすれば「あなたの今の苦悩は愛犬がもたらしている」ことになっている事実に思いを致して下さい。
あなたは今の心身の状態を愛犬のせいにするなど毛頭思っておられないでしょうが、亡くなった愛犬の立場からすれば「自分が飼い主様を苦しめている」ことに、極めて辛い思いをしている…ことになっていないでしょうか。
辛い苦しいとおっしゃるのは分かりますが、そのことが愛犬に対しての何かの罪滅ぼしになるでしょうか?
愛犬のお参りに行くことは出来ますか。是非お参りなさって下さい。
そして、それが無理ならば、他の犬や動物を救う活動をなさって下さい、そういったボランティア団体を探して訪ねていって下さい。
ふさぎ込んでいるだけでは何も変わりません。愛犬も苦しい思いを重ねるばかりです。
愛犬のことを忘れて明るく生きて下さい…なんてことを申すことは致しません。
あなたのその強い後悔の思いを、他の生き物、他の命をすくうことに向けて下さい。
その対象は動物だけでなく、お母様、そしてあなたも含まれるのです。御自身を大切になさって下さい。
仏様があなたの行いをじっと、ずっと、そして優しく見守っておられますよ…。
質問者からのお礼
弘教寺 小林 覚城 御住職
ありがとうございます。
御住職のおっしゃったこと、母にも言われました。これでは愛犬が浮かばれないと。
私は毎日何回も、あの日がなかったら、愛犬がいまもいてくれたらと心の中で呟いてしまいます。
この苦悩は決して愛犬のせいではありません。愛犬は幸せをもたらしてくれた天使なんだと思います。
居間に9年前、5年前に亡くなった、一緒に過ごした先住犬と共に愛犬の骨壺があります。毎朝夕と手を合わせていますが、それが最近は苦痛に感じます。まだ生きてにいたはずなのにと切なくなります。
愛犬の犠牲の上に他の命を救う事に躊躇いがあります。こんな考えだから前に進めないのですね。
家族で保護犬を飼う話が一度ありました。でも私は怖いのです。飼ったら可愛くてたまらなくなりそうで。
何をしても亡き愛犬に後ろめたさを感じそうで。私自身が保護犬に幸せにしてもらえそうで。
苦しむことが愛犬への罪滅ぼしにならないこと、教えていただきありがとうございます。
私は苦しみこそが愛犬への償いだと思っていました。
他の命を救う事、私にできる事、悔やんでないで、一歩踏み出す事頑張ってみます。
ありがとうございました。