どうしても過去の後悔から逃れられない
本当にお恥ずかしい限りです。8か月ほどまえに『あきらめるには』で質問させていただき、ありがたいご回答をいただいたものです。
過去は変えられないものであること、すぐにはあきらめることは難しいので仕事や趣味にうちこまれては…とお教えいただきました。
仕事も当時はパートでしたが、頑張りをみとめられ来月より正社員になることになりました。趣味は以前庭仕事と山登りがすきだったので時々それらをするようにしております。
しかしどうしてもどうしても過去にしてしまった失敗を忘れることが出来ません。事情により相手に謝ることもお詫びすることもできず、自責の念は時間を追うごとに膨れ上がるばかりです。毎日が苦しくてたまりません。家族にはできるだけ迷惑をかけないようにだけは心がけています。しかし自分を責める気持ちがつよすぎて1人のときは恐ろしい言葉で自分を責めたり、自分の体をたたいたり傷つけたりしてしまいます。(ちなみに心療内科にもかかりお薬もいただいています。先生はそのうちよくなるよ…とおっしゃいますが、もう1年たちます)
過去に過ちを犯した人はやはりこうやって一生苦しむべきなのですか?もしそれが罰というものならあきらめてこのまま生きていこうと思っています。できれば過去にしてしまったことから離れて楽になりたい…と願うのは罰当たりなことでしょうか。
このまま苦しむのが本当につらく自死さえ考えてしまいそうになりますが、20年前に弟を自死で亡くしており、自死が周りに与える苦についてもよくわかっているので、家族のことを考えるとそういう選択は絶対にありえません。しかし苦しいあまり時々誘惑に負けてしまいそうになります。
仏教の教えでは過去にした失敗はどのように償うものなのでしょうか。自責の念からは逃れることはできないのでしょうか。
もしできるならこの自責の念からすこしでも楽になる方法を教えていただけませんでしょうか。たよってばかりの弱い人間ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様に懺悔なさってください
拝読させて頂きました。
あなたは自ら犯した罪を深く悔やみ苦しんでおられるのですね。あなたの罪がどのようなものでどうあなたが後悔なさっておられるのか詳細はわからないですけれど、あなたのその深い自責の念を心よりお察し申し上げます。
私達は誰しもが罪を犯してしまいます。それは自分の我欲や貪りや怒りや愚かさから他者や自分をも傷つけてしまいます。例え善かれと思ってしたことでも浅はかな自己本位の考えから行動して人を傷つけてしまうことも沢山あります。
ですからあなたも私も皆浅はかで愚かな者、罪を犯してしまう者なのです。
仏様はそのような愚かな私達を全て受け入れてくださいます。そして迷い悩み悔やみ苦しむ私達を全てお救いなさってくださいます。
今日も私は朝5時に起きてお寺の本堂で仏様に向かい朝のお勤めをさせて頂きました。そのお勤めでは昨日私が心の中で起こした怒りや愚かな思いを仏様に告白して深く反省し懺悔させて頂きました。そのような愚かな思いを消し去りますようにと仏様に心からお願いさせて頂きました。
私は毎日朝のお勤めでこのような己れの行いを仏様にお聞き届け頂き、懺悔させて頂いております。
もしも宜しければあなたもどうか毎朝己れの行いを仏様に心の底からお申し出なさって頂き仏様に心から懺悔なさってみてはいかがでしょうか?仏様はあなたのその罪や思いや行いを全て受け入れてお聞き届けなさってくださいます。
宜しければどうか毎朝実践なさってくださいね。お仏壇があり、仏様を御安置なさっておられるならばその仏様に向き合い、お仏壇がなければそのまま心に仏様を想像なさって頂きその仏様に向き合い手を合わせながらしっかりと懺悔なさってください。
必ずあなたの深い罪や自責の念は仏様により清められて消滅していくことでしょう。
もしもお経をとなえながらなさりたいならば
懺悔偈というお経がございます。
ネットでも直ぐにヒットしますからご参考になさってくださいね。
あなたのその罪や自責の念を全て仏様が受け入れて清められ、あなたがこれからも皆さんと共に心健やかに豊かな毎日をお過ごしなさってくださいますようにと心から仏様にお祈り申し上げます。
必ずやあなたの罪は清められあなたの心は解放されて参ります。どうか実践なさってくださいね。
質問者からのお礼
お仏壇はないのですが主人の家にあるお仏壇をイメージして手を合わせることをはじめました。たとえ良かれと思ってしたことも人を傷つけてしまうことがありますというご回答にとても救われました。そういうことはあるのですね。ありがとうございます。