今が一番いい人生の終わり時
いつも、どちらかというと気分が沈み気味です。
けれど先日、ちょっと心が軽い日がありました。けれど、心が軽いのに、その時なぜかふと、今人生が終わったら一番いいんじゃないかと思うことがありました。
しんどいときは、死ぬことを考えるのもしんどい。
けれど、気分が高揚しているときは、死ぬことを考えるのもそんなに悪くないと思ったんです。
実際に死のうとはしていませんが、こういう時に、もしかして死を選ぶのかなぁと、漠然と思いました。
死にたいと思ったことはありますか?
また、何故その時に死を選ばなかったのでしょうか?
私は、自分自身の最後は、もしかして自分が決める可能性もあるのかなと、その時以来思い始めています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思っただけじゃ呼吸は止まらない。
おはようございます。
質問文拝見しました。
気分が高揚しているときは前向きに思えることがあります。
反対に落ち込んでいるときは考えるのも怖くなることがあります。
何回か繰り返し質問を読ませていただいて、いちばん目に留まったのが
死にたいと思ったことはありますか?
何故その時に死を選ばなかったのでしょうか?
という問いでした。
私の考え方として、人生思い通りにはならない。
地球は私を中心に回ってはくれない。
というのがあります。
経験上、思ったり念じたことが必ず、絶対に実行される保証がないです。
いいことにしろ嫌なことにしろ思ったことだけで人生は動いてくれませんでした。
自分の思いだけでは世の中生きていけないと割り切っています。
質問の答えですが、死にたいと思うくらい辛いことはいろいろありました。
でも死ぬだけで解決できるかというとそうでもない気がしたのも事実でした。
死を選ぼうとして息を止めてもせいぜい、40秒ほど。
自分の思いだけじゃ心臓を止めるまでに至りませんでした。
自分で強く思わなくてもそのうち寿命はやってくる。
身体が悲鳴を上げて活動を止まるときがあるかもしれない、そのときは素直に身体の声に命を委ねよう。そう思っています。
一方、今まで関わってきた方の中では、しんどさや辛さから開放されたいという思いから死を選ぶ人は今までいました。死にたいという思いが続くと、死ばかり考える習慣になり、思い込みが環境をつくっていく。
思い通りにならない世の中、せめて自分の思い通りに人生をコントロールしたい。死への道筋は自分で決めたいという人も確かにいると思います。
でも、「自分の思い」にこだわることでちっともハッピーにならないなら、違うことに目を向けたいな。
自分だけをあてにしなくても成り立つ世界の何かを自分に取り入れることができれば、無理して死を考えなくても心の軽さとかささやかな楽しみに目を向けて生きていけるかなと思っています。
あくまで、ひとつの立場ですが参考になれば。。
まだまだ暑き折柄、お身体ご自愛ください。