看取る覚悟
先日、母親の闘病についてアドバイス頂きました。いよいよ末期癌の進行は早く母親の体調は悪くなるばかりです。
昨日は、顔を見て話して笑顔が見れたのに今日はしんどそうで話もできず目を閉じて痛みに耐えている母親の側に居るだけ。
生まれてくる子の顔を見せたいという希望はまだ強く持っています。ですが、この頃の母親を見ていると「希望を叶えられないかな。あと1週間頑張ってくれたらいいな。」と感じているのも事実です。
私は、強がってしまう様で人前では泣けません。ですが、今は誰かに縋って泣きたい。弱音を吐きたい。でも頼れる人が居ません。今まで母親にだけ弱音を漏らし、頼ってきました。
その母親が今は、今まで見た事のないくらい弱々しい姿で痛みに耐えています。
死がそこまで迫って来ています。
こんなポンコツな私にお母さんを強く送り出せるか、自信が持てません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたのその心が、お母様にとって最高の光になっています。
はじめまして。大阪の松永徳成と申します。
ご縁あって、末期癌の患者様と多く接する機会をいただいております。
苦しいお心をお話し下さり、ありがとうございます。つらいですね。しんどいですね。
痛みに耐えるお母様の側に、ただ居ることしか出来ない。そのつらさは、他人にはわかってもらえないほどのつらさだと思います。
私には何も出来ることはありませんが、少し言葉をお送りさせてください。
緩和ケアでとても大切にされている言葉です。
「Not doing,but being.」
(何もできなくとも、そこに居る。)
何もできない自分であること、自分の無力さを突き付けられることは本当につらく、逃げ出したくなります。でも、もしあなたが逃げ出してしまえば、お母様はどうなるでしょうか。
長年緩和ケアに携わられ、自身も癌でこの世のいのちを終えられた岡部健先生は、死に向かうお気持ちを、闇へ降りていく、と表現されました。行ったことのない場所、ましてやその道が暗闇であるならば、独りで降りていくのはどれほど恐ろしいでしょうか。
そこに、手をつないでくれる人がいればどうでしょうか。仏さまの光があればどうでしょうか。暗闇は照らすことができます。手はぬくもりを伝えます。
おつらいでしょう。耐えられないでしょう。でも、少しでも長く手をつないでいてあげてください。Not doing,but being.ただそこに居るということが、何よりもお母様の支えになります。
また、耳は最後まで聞こえているといいます。話ができなくとも、返事がなくとも、お母様にあなたの声は届きます。側に居るあなたの息づかいが伝わっています。
新たなお子様のことも気がかりですね。もう一ヶ月二ヶ月頑張って!と声をかけるのも、家族の声としてはとても力のある言葉かと思います。でも、頑張って!という言葉は、今まで頑張り続けた人には時としてつらく響いてしまうこともあります。正解というものはありませんが、おなかの子の様子を、今こんな感じだよ、と伝えてあげるのも良いかもしれません。
最後になりますが、影は光のあるところにしか生まれません。あなたの抱える悲しみは、それだけこれまでのお母様の愛情の深かったことの表れです。あなたのそのお気持ちこそ、お母様を照らす最高の光になっています。
お心をお話しくださり、ありがとうございました。