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幸せな現実と精神状態のバランスの悪さ

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

夫婦でのんびり暮らしています。
夫も優しく、夫の実家との関係も良好。
仕事も順調で、幸せそのものです。
ですがその平和・幸せが、嘘や作り物のような感覚になることがあります。

原因は一応自覚していて、私の実家は暴言・暴力が激しい家だったので、ギャップが激しすぎるんだろうなと。
暴言暴力が当たり前だった家がどうしても苦しく、成人後に断絶を選びました。そのことに後悔はありません。

現在は平和で、暴言どころか嫌味すらないのが当たり前。そのことに、時々びっくりします。
穏やかな日常を望んだからこそ実家から離れたはずなのに、平和で幸せであるということを、急に強く実感することがあり、なぜかギョッとします。
「ああ幸せだなぁ…」としみじみできるはずのところで、そわそわして不安になります。

また、時々なんの理由もないのに死にたくなります。
前述の、「いまの幸せを作り物のように感じる瞬間」に死にたくなる……ならば、分かりやすくて良いのですが
そういうことでもなく、不規則なタイミングで死にたくなります。
 
変な言い方ですが、家に帰れば夫に会える。または家にいれば夫が帰ってくる。
嬉しいですし幸せです。
つまり互いに必要とし、必要とされている。ここはちゃんと実感があります。
なのにいまだに「自分は死ななくてはならない存在である」という波?のようなものがやってきます。
その時は、自分が生きていることが許せないような、消えなくてはいけないような気持ちになります。正直申しまして辛いです。

映画や物語的に、幸せや満たされた気持ちによって死にたい感覚は消えるというようなイメージがあったのですが
実際そんなことはなく、共存できてしまうのだと分かりました。

こういうのは時間薬だという人もいます。
時間薬だとして、それはどれくらい先のことになるんだろう。
時間薬が私にも効くと、信じて良いのでしょうか。
それともやはり、一生付き合わざるを得ない感覚なのでしょうか。

誰にもうまく言えません。そんなに幸せなのに贅沢だ!と言われてしまうのが怖いです。

2017年9月2日 10:09

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

安心の環境の中で生活できてよかったですね

過去の経験から、今目の前にある幸せに満足できなくなっているのでしょう。過去の刺激的な生活は長年続いたのですよね。体は変な話刺激慣れをしていて、何か刺激がないと安心できないような癖がついているのでしょう。

幸せとは当たり前に過ごすことの中にあるのです。ものが見えたり聞こえたり、味わえたり。刺激的でもあるし何か先に想定していると物足りなさを感じるのかもしれません。

幸せとはこれからなるものではないのです。理想通りになることでもない。ただ今の様子の中に当たり前にあることに気づくこと。そこに安心があるのです。

考え方や思いではなく、事実に安心があるのです。あなたの体の機能を使いリアルと一体となり生きている現実は幸せそのものです。

2017年9月2日 14:01
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

回答いただきありがとうございます。

暴力や暴言が当たり前の日々とは、とても刺激や安心といった言葉に当てはまるようなものではありません。
慣れることができるようなものでもありません。
いつどのように受けるものであっても苦しいものです。
例えば街中でどこかの誰かの(私に向けたものではない)怒鳴り声がたまたま聞こえただけであっても身が竦みますし、とても聞いていられません。
なのでお坊様が、安心や刺激といった言葉にあてはめようとすることに驚いてしまいました。

理想ですか…強いていうなら心身の危機を感じずにいられることが理想で、それは叶っています。
夫婦喧嘩をすることはあっても、殴る蹴るもないし人格否定も暴言も存在しない。
こんなに素晴らしいことがあるでしょうか。

やはり「今の幸せに気づきなさい」が答えとなってしまうのですね。
そうです、幸せがたくさんあります。「なる」ものではないと私自身も思っています。
特定のなにかが『ある』から幸せ、というものではなく、暴力も暴言も怒鳴り声も『ない』こと。
この現在が幸せそのものです。
(幸せ、という言葉を便宜上使ってしまったので伝わりづらかったかもしれません)

なのに死にたくなる。
必要とされているのに、私のようなものが生きていて良いと思えない。
ずっと一緒に生きていきたい大切な人がいるのに、死ななくてはならないという感覚に負けそうになる時がある。
この矛盾が苦しいと、助けを求めたつもりでした。

せっかくお答えを頂いたのに、素直に受け取れないことを申し訳なく思います。

「現実逃避・現実の受け入れ」問答一覧

現実と理想の狭間で

子どもながらに「私はこういう大人になりたい!」と思っていた、その頃抱いていた理想の大人に私はなれているのか? 理想は理想?なれているのかなれていないか? 残念ながらその頃の自分に「ちゃんとなれたよ!」とは言えません。 ◯◯市は、義務教育の間の先生は、転勤があっても◯◯市外に転勤になることはありません。だから、もしまだ退職されていないなら、◯◯市内の学校にいらっしゃるだろうと思います。ですが、歳からして私が子どもの頃にいた先生方は定年を迎えている、と思われるからこそ、ここに記すことが出来るのですが… もともと口数少ない、物静かな子どもで、以前こちらにも書かせていただいたように非常に悲惨なイジメにあっていた私。そんな私が「大人になったら、この先生に会いに行って、これだけは言いたい!」と強く思っていた先生のお話です。 小学校の卒業旅行の真夜中、家じゃないと寝られない私は、(女子児童の眠る)部屋で、体育座りをしてちょこんと座っていました。そしたら、ある男性教師がそーっと部屋に入ってきて、少し大人びてきている女子児童の胸に手を当てて、またそーっと部屋を出て行きました。 もちろん、私は終始無言で、固まってしまっていましたが、確実に、その男性教師とは目があっていて、これは勇気があっても何も言えなかったと思うのですが、その男性教師も私が誰かに話す訳がないと思ったからこそ何事もなかったかのような顔をして部屋を後にしたのでしょう、ということがありました。 何も言えぬまま中学生になりました。今だったら表沙汰になっていたかも知れないような、これぞ体罰教師!というような先生がいました。一度殴る蹴るが始まったら、生徒たちは凍りついて誰も何も言えない、誰も止めに入れないような先生で、その暴力に関しては皆が同じ思いを抱いていたでしょう。 でも私は、ちょっとそこ以外のことに問題を感じていました。少しだけ発達障害のある生徒が同じクラスにいて、その子を守る?守っている?つもりなのかも知れないですが、どう見ても逆に偏見を持って接しているのです。事ある毎に、私は「先生、それは…」と言いたい、言いたいと思っているのに言えず、その歯痒さ故「大人になったら、先生にこれだけは言うぞ!ぶつけてみるぞ!」と強く思っていました。 が…出来ないままでいます。 どうして私はこんなに弱いままなのでしょうか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

綺麗事と現実のギャップについて

こんにちは。 質問を見てくださってありがとうございます。 「自分らしく生きよう」 「自分に自信を持とう」 「他人に何を言われても気にせず自分の道を行こう」 「そうすれば幸せになれる」 …そんな言葉を、色々な本の中でよく見かけます。 しかし、現実は厳しいです。 私は学生時代、見た目がよくないことでいじめられてきました。 何もしていないのに殴られたり、暴言を吐かれたりしました。 勉強はそこそこできました。でも私は間違いなく不幸でした。 テレビを見ていても、見た目が良くない人に対しては何をしても良いという暗黙の雰囲気を感じます。 社会に出てからは、仕事も自分のできる範囲で精一杯頑張りました。 しかし周りにもっとすごい人がいると、「お前はあいつに比べてどうしてそんなにできないんだ」という評価をされます。 評価が下がると、給料も下がります。周りからもヒソヒソされます。 それは不幸ではないのでしょうか。 だらだらと書いてしまって申し訳ありません。 私が聞きたいのは、「どんなに綺麗事を言っても、結局現実を見ると「自分らしく」なんて生きられない。理不尽なことばかり。自分の中で精一杯やって、自分なりに頑張っていたとしても、社会では他者からの評価が悪ければそれで終わり。そんな現実とどう向き合っていけばいいのか。」 ということです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 34
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口に出したことが現実になるか否か

思っていることを口に出すと口に出した通りの現実になるとよく耳にしますが、正直疑わしいです。 大企業に勤めてる友人がお金がないと口癖のように言います。 彼女の周りに高所得な方が多いから口に出るのかもしれないと思っていますが、やはり大企業に勤めているだけあってブランド物を結構持っている上に旅行にも頻繁に行きます。 また、奨学金を借りている額も聞いたら私の3分の1程度です。 それに対し、私は非正規雇用で奨学金を借りている金額もえげつない為、服飾費や旅費も最低限度に抑え、慎ましい生活をしています。 また、お金がないと口に出したらお金がなくなると教わった為、余程のことがない限り一切口に出さないようにしてます。 お金がないと口癖のように言ってる友人の方が私より一目瞭然で経済的なゆとりがあるため、言霊が本当にあるのか疑わしくなり、もやもやしてきました。 以下3点を教えてください。 1) 口に出さなくても心の中で思ってる限り、お金がない現実を引き寄せるのでしょうか? 2)また、お金がないと口に出さないようにする努力は無意味なのでしょうか? 3)逆に友人は本気で経済的に余裕がない私に比べ、ある程度お金に余裕があるからお金がないとよく口にするのでしょうか? (本当に経済的に余裕がないとお金がないと口に出す余裕すらないという理屈です) よろしくお願いしますm(_ _)m

有り難し有り難し 8
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現実との折り合い

こんにちは 私は長く躁鬱病を患い、頭の中のリアリティも害もある想像の会話が止まらず苦しんで来ました。 昨今のマインドフルネスの普及から仏陀が仰ったことに興味を持っているのですが、 確かにマインドフルネスで今ここのあるがままを観察していると、心はただ離散集合しているだけの実体の無いものだし、執着するのではなくこのようにただ現象を観察することで過去や未来からも切り離されて楽になれるな、ということが実感としてわかります。 ただ現実で仕事をしていると、ある意味自己実現という幻想で駆動して物事にとことん執着し、過去と未来に執着し、ただでさえ認知的幻影である世界にさらに消費という幻影を作ってゆく作業だと思うので、いくらでもストレスが湧いて出てきます。 心は実体のないものだから執着したりすることはないんだ、と思えることで精神疾患的にはとても良いと思うのですが、仕事をして生きていくことを考えるとマッチポンプ状態で、この二つは折り合いがつくのかな? と思うのですが、仏陀はどう考えていたのでしょうか? それとも、元々が、出家してない人間には向いてない考え方なのでしょうか。 どうやって「現実世界で生きること」と元々の仏陀の教えたことと折り合いをつけるのか(そしてそれで苦から放たれるのか)知りたいです。 なるべくおおもとのエッセンスが知りたいです。 浅い知識で質問しているため誤解に基づいて書いてるところも多々あると思いますがよろしくお願いします。

有り難し有り難し 10
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