躁鬱
自分の力で幸せに、楽しいことを、ご褒美を
したあとはどうして鬱状態になるのでしょうか。
ネットの人の言葉に嫌悪して
輪に入れない苦しみを強く感じて
誰にも話せない時間を味わって
もっと建設的なことがあるのに
攻撃的になって負の感情を溜め込み
不快な思いを勝手に作って
言いたくない言葉を吐いてしまいます。
本心を吐いても受け入れてもらえなくて
上部だけの付き合いで良いのだと分かると
もう関わることがない、関わっても
自分が頑張って追うことはしないだろう
だったら繋がってる意味なんてないじゃないかと
繋がりを消して壊したくなります。
一年話さなかった人と繋がっても
今後ももう話すことなんてない
そんな人と繋がって意味あるのでしょうか
自分から関係を壊すと何かのときに酷く後悔したり
勿体無いと躊躇い、意図せず相手を傷つけてしまうという葛藤で
話さない人と繋がったままで一年経つ人達が多いです
私からも相手からもコンタクトしないのに
相手をミュートして存在さえ忘れかけているのに
繋がってる数字だけがあります。
周りが毎日楽しんでる交流を見ては
毎日惨めになり、現実の自分にご褒美を与えます
活動をやめると色々と支障が出るし
嫌がらせが始まる前まで寄ってた人達とも
縁はなくなっていき
もうネットの人が嫌になってる自分がいます
晒された内容が全部でたらめで
決めつけられたことも全く違って
言いたくても炎上を避けるため泣き寝入りして
我慢に我慢を重ねた結果
私はその人たちを酷く憎み恨み嫌悪して軽蔑することになりました
許せないし許さないです
一年たった今でも許さないですし
十年くらい前に受けた嫌がらせも許してません
自分が思ってた皆仲良く楽しくという
皆いい人と思って参加していたのが
中身は嫉妬や誹謗中傷や上手すぎでないと
軽視され、ただの上手いくらいだとバカにされ
褒められると叩かれ、粘着がつき
他人との価値観の違いを思い知らされ
随分と嫌な思いをしました。
低俗な人達が多い世界にはいったのだと
呆れてます
発言を控え過激なことは避け
人が不快に感じる愚痴に気遣い
嫌なことをできるだけしないように努力してたけど
もう限界超えて誰とも話したくないです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ネットの情報だけでは誤解する場合がありますね
拝見しました。
ネットは大変便利なものですが相手の表情が見えません。一つの言葉でもそれを受け取る側の心の状態によって受け取る感情が変わってくるのではないでしょうか。よくある炎上などはしばらく静観することで治まることもあるようです。
浄土宗をお開きになった法然上人のお父様である閏間時国(うるまのときくに)公は、美作国(現在の岡山県美作市)の押領使(警察署長のような役職)を務めていましたが、ある夜、明石源内武者定明が不意に夜討ちを仕掛けてきました。この時、時国公はひん死の重傷を負いました。わずか9歳の我が子、勢至丸(後の法然上人)を枕元に呼び、「私の命はもう長くない。私が死んだ後仇討ちはするな。もし仇を討てば、お前が狙われて憎しみは際限が無い。それよりすべての人が救われる道を求めて出家せよ」と告げ、息を引き取ります。遺言に従って勢至丸は親戚の寺に預けられその後13歳で比叡山に登ります。
仇討ちが当たり前の時代にあって、それをとどめたことで誰もが救われる道が開けたのです。
仏教では貪欲(とんよく)=むさぼり(欲深く物をほしがる、際限なくほしがる)、瞋恚(しんに)=怒り(自己中心的な心で、怒ること、腹を立てること)、愚痴(ぐち)=迷妄(物事の道理に暗く実体のないものを真実のように思いこむこと)の3つの煩悩を三毒と呼んで、悪業の元となるものと理解し、三毒煩悩をなくすように修行するのです。しかし、凡夫である私たちは自分の力でこれをなくすことができません。
そんな私たちに法然上人は「罪人なりとても疑ふべからず、罪根ふかきをもきらわずとの給り」と、罪人だからといって阿弥陀様の救いを疑ってはいけない、どれほど愚かで怒りっぽい、また欲の強い人でも阿弥陀様はお救い下さるので、「南無阿弥陀仏」と声に出して念仏をお唱えすることをお勧めになりました。
お念仏を申せばイライラした心もきっと落ち着きます。
吐き出してしまって整理してください
拝読させて頂きました。
あなたが今まで人とのお付き合いの中でさげすまれ嫌な思いをして沢山の感情を心の中に溜め込んでしまわれてきたのかと思いました。
そしてその辛いを思いを吐き出すこともできずに余計苦しい思いを抱えて病にもさいなまれおられるのかとも思います。
その苦しみはあなたでなければ分からないかもしれませんが、あなたの思いを心よりお察し申し上げます。
そしてあなたの思いをできる範囲可能な範囲にてじっくりとお話なさって頂きたいと思います。
差し支えなければこの場所で今までの出来事やそこでの人とのお付き合いやあなたが抱いた感情をどうかお話しなさってください。
そしてあなたの中でずっと溜まりにたまった思いをしっかりと吐き出してくださいね。
人とお付き合いしていく中で自分本位に発言したり全く気がつかずに周りの方々を傷つけてしまうことはよくあります。とはいえ生きて行くには様々な方々ともお付き合いしていかなければなりませんからあなたも沢山の軽蔑や嫉妬や怒りや中傷を受けたことでしょう。
どうか一度その思いを全て吐き出して頂いて心の中をスッキリと整理なさってください。
そしてあなたの心も身体もスッキリさせてしっかりと休めて下さい。そして心も身体も今までの人間関係も整理してリセットなさってくださいね。
今すぐあっさりとできないかもしれませんが、できうるだけ速やかにしっかりと吐き出してしまって整理してください。
今のあなたの中では悪縁も良縁もまざってしまっていると思います。
ですからこれから生きて行く中で悪縁は悪縁としてあっさり捨て去ること線引きすること、っそして良縁はしっかりとこれからも大切になさることです。
言うは易く行うは難しですが、一度距離を置いてみて客観的にご覧になってから整理していくことです。
自ずとこれからのお付き合いの仕方やあなた自身の生き方も変わって参ります。
あわてる必要はありませんが、どうか心を休めてからしっかりと吐き出し整理なさってくださいね。
またここであなたのお話を伺いたいと思っています。どうか宜しくお願いしますね。
質問者からのお礼
>>ですからこれから生きて行く中で悪縁は悪縁としてあっさり捨て去ること線引きすること、っそして良縁はしっかりとこれからも大切になさることです
見極めがなかなかできず長い間苦しんでました。
話せばわかってくれる、理解してくれる
正しい方向に向かうだろう
そんな風に甘い考えをしていました。
悪縁は悪縁だった。
自分に害をなしてくる人に耐えてまで
自分を傷つける必要はないと長い間苦しんだなかでようやく決心しました。
嫌な人でも理解してもらえれば仲良くなれる
そう信じていたところもありました。
子供みたいなみんな仲良くという自分の気持ちが相当甘かったので、敵は敵。味方は味方
敵のいうことに耳を貸す必要はないと
別の件で痛感しました。
大幅立ち直り、ある程度回復したからこそ
考えることができる過去の自分が耐えてきたのがバカらしいと、悪い人達は悪い人達だった。よくもならないというのを、見限ることをようやく飲み込むことができました。
まだ、まだ自分にとっての癌があります。
切り離せない家族の姉です。
これが数年間、私を苦しめてきた癌です
悪縁は姉だということがようやく分かり
縁を断つということに踏ん切りがつきました。