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人の悲しみへの寄り添い方

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有り難し有り難し 16

自分の周りの人を大切にして優しくあるために、人の悲しみや苦しみに寄り添うためには想像力がとても大事だと思います。
例えば「Aちゃんの発言本人は悪気ないけど、Bちゃん側からしたらきっと傷ついたろうなぁ」なり、「C君前に◯◯のトラウマの話してたから、今表面上は笑ってるけど辛いんじゃないだろうか、でも私が今声をかけても余計無理させるだけかなぁ。。。」という風に自分なりに相手のことを想像して思いやることは必要だと思っています。
他方で、仏教的には、自分の心の在り方として目の前に起こったことをただ起こったことそのものとしてだけ受け止めるべし、自分の頭でそこから先を勝手に意味づけしてストーリーをしたてあげるのではなく、手放すのですとhasunohaで何度かアドバイスを受けました。

本当にそのアドバイスのとおりだと思うのですが、他方で他人との関わり方といった面では、どうこころえたら良いのでしょうか。。私の周りには、最初に書いたような普通に空気を読めるような人なら考えそうな想像力が無い人が何人かいますか、そういう人たちは精神性が高いというよりも視野が狭くて自分のことしか考えていない精神年齢が低い人に感じます。そして他人へエゴを押し付けないと言えば聞こえは良いですが、冷たい。

ただでさえでも、思いやりたいと考えるような近しい恋人や友人と対峙する時は、下手をすると執着や嫉妬につながりやすいという面もあり、距離感や自立がどんなに近しい相手でも大事ということや、気遣いや想像は大前提として自分のエゴだということはわかります。
でも他人への想像力を失った社会なんて灰色でとても生きづらいと思います。
他人との関わり方、想像力の持ち方と手放すということについてなにかアドバイスいただけると嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

智慧と慈悲

自分が苦から離れたい…これを仏道と言います。
他の人の苦を取り除き、楽を与えてあげたい…これを菩薩道(ぼさつどう)といいます。
菩薩とは、他の人の苦に寄り添うため、自らあえて苦の中に飛び込むあり方です。

「思いやる」とは「思いを遣る」こと。自分の頭を相手のために派遣すること。それはそれで大切です。仏教は『中道』の教え。折衷案ではありません。仏道をルール化せず、菩薩道をルール化せず、縁に随って仏道も菩薩道も自由自在ということです。

どう思い遣るか?「他人が悲しんでいれば自分のことのように悲しむ」、「他人が喜んでいれば自分のことのように喜ぶ」。それが寄り添うということです。

手放すというのは悪い自分のままでいいという意味ではありません。だから私たち禅僧は全員ではありませんが「ありのまま」ではなく「あるがまま」と表現する人が多数派です。(揚げ足を取り続けると本当に表現のしようが無くなるのですが…)

あるがままとは自分⇔相手という境界の無い状態です。境界が無いとどうなるか?グーグルマップで我が家を見ているとします。この敷地内が我が家。そこから縮小縮小アンド縮小していくと、我が家はやがて点になり、点ですらなくなり、〇〇市→〇〇県→〇〇国となり、やがて地球そのもの、宇宙そのものになります。

考えを1つ1つ手放していき、最終的に自分そのものを手放してしまう。そうして大きな我が家・大きな自分に立ち帰ることが「あるがまま」であり、英語の訳語になる前の、仏教語としての平等です。

そうして自分から大きな自分に縮小されれば、お隣さんも通りすがりのオッチャンも彼氏もみ〜んな自分になります。すると「他人のことも自分と同じように」が当たり前になります。だから仏道の他に菩薩道があるけど、仏道と菩薩道が別物であるわけではないのです。

ぶっちゃけですね、悟りを開いたお釈迦さまでさえ、善かれと思ってやったことで実の父親を深く哀しませました。人はどんなに立派に生きても完璧にはなれません。
でも、それがそういうものだと分かっている人同士が思い遣り合い、失敗も認め合えば、世の中は生きやすくなるに違いありません。
だから仏教を広めましょう。苦の最大の原因は、道理に対する無知(無明)なのですから。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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平等の慈悲

拝読させて頂きました。
そうですねあなたのおっしゃる通り人を思いやることはとても大切な事ですね。人それぞれに嫌な話題や触れられたくないことはあるでしょうからできればそう察してあげたいものです。

そうは言っても私達はそれぞれの方を深く知っているわけではありませんし、それ程に相手を思いやっているかというと、いつもそうではいられないのが現実です。

手放すとはありのままそのままで良いという意味を含みますが、その中での私達は人として生きて行く中での全てに対して平等の意識が前提に必要かと思います。

やたらめったら何でも気にせずに己の思うままに勝手な発言をすることはやはり控えるべきかと思います。

ではどうしていく事が望ましいのかか、自分自身の経験や学んできたことを前提として人それぞれの基本的な人権を守っていく事かと思います。
何の根拠もないいわれなき差別が世の中には横行しています。それによって多くの方が大変辛い思いをして深く傷つきながらも必死で生きています。
その様な愚かな言動を私達は慎み、皆さんが共に心豊かに生きて行く事ができる様に心掛けていく事が大切です。
それには正しく学ぶことと経験を踏まえてどなたにも平等に接するように心がけていく事かと思います。

人が人を差別することはこの世の中にあって最も醜い愚かな事です。その様な愚かな事から平気で他者を傷つける様な言動を発して、そして争いとなり虐待や殺人そしてテロや戦争へとつながっていきます。

一人一人には確かに限界があるでしょうが、人が人を正しく認め合うことができる様な世の中を目指して生きたいですね。そして仏様のような慈悲の心を持って全ての方々を受け入れて行ける様心掛けて生きたいですね。

あなたがこれから人の痛みや苦しみを分かり、お互いを助け合い尊重なさり、心から皆さんと共に思いやりの心を育ててていかれます様、そして心豊かに幸せに皆さんと生きていかれます様にと仏様にお祈りさせて頂きます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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