いろいろな気持ちが混ざりあっています。
私は子どもに恵まれませんでした。昨年再婚しましたが、旦那さんは離別で、成人したふたりの子供がいます。二人とも旦那さんが引き取っています。
始めは旦那さんの子どもが欲しいと思っていましたが、2人でいろいろ話し、子どもがいない人生を選びました。上の子が子どもを作ることに反対だったのも、私が遠慮してしまった要素の一つにあります。
でも、どこかで子どもがいる旦那さんと元奥さんは子供で繋がっているのに、自分は絆というか旦那さんとの繋がりがないなと感じてしまいます。
元奥さんはお会いしたことはありませんが、子どもたちは良く会っていて話も聞きますし、旦那さんも悪いことは言わないのでいい人のようです。
でも、私は旦那さんの過去をまだ受け入れられず、嫌なところがないならなんで離婚したんだろうとか、この家にいても写真アルバムがあり、結婚する前の旦那さんとの元奥さんの仲のいい写真があったり。
心が追いつきません。この家には元奥さんの影がたくさん残っていて、私は何度も挫けそうになりました。
今一緒にいるのが自分だとしても、目に入ってしまったり、話を聞いたり、私の器では受け入れきれません…でも旦那さんのことが好きなので離れることももちろん出来ません。
私が自分を認めることが出来たり、自分に自信を持つことが出来たら解決するのでしょうか。苦しいです。どう考えて言ったらいいのか、教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
嫉妬・ヤキモチです・・・それだけ愛しているのです。
〈心が追いつきません。この家には元奥さんの影がたくさん残っていて、私は何度も挫けそうになりました〉・・・確かに辛いですね。
しかし、子供さんとの同居を選択した時点で「元奥さんの影」がチラつくのはやむを得ません。子供さんそのものが「元奥さんの影」ですから・・・。
〈始めは旦那さんの子どもが欲しいと思っていましたが、2人でいろいろ話し、子どもがいない人生を選びました〉・・・賢明な選択でしょう。自分の子供が生まれると、どうしても「我が子」に目がいきますから・・・。但し、お二人とも成人しておられるようですから、もしも授かったら仏様からのプレゼントとして生んでも宜しいかと・・・(全く個人的な感想ですが)。
〈旦那さんも悪いことは言わない〉・・・素晴らしい方です。別れた相手の悪口を言うのが普通ですから・・・。あなたが愛したはずです・・・(笑)。失礼、怒らないで下さいね。
成人した子供さんはいずれ巣立っていき、いつかは旦那さんとの「二人暮らし」になるはずです。その時こそ本当に「結婚してよかった」と思えるようになるでしょう。
仏教では❝愛別離苦(あいべつりく)❞といって、どんなに愛しい人ともいつかは別れ(死別)なければいけない苦しみがある、と説きます。人生を共にして、苦しい時も一緒に歩んでいれば、最後のお別れの時も喜んで送ることができます。
ちなみに❝独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい)❞といって、所詮人間は「独りぼっち」だよ、とも教えています。だからこそ「伴侶」を求めるのかも・・・。
とにかく、旦那さんを大切にし、仲良くしていれば必ず「仕合わせ」になれます。「仕合わせ」とは元々「仕える人に出合う」という意味ですから・・・。合掌
質問者からのお礼
ありがたいお言葉、本当にありがとうございます。心が軽くなりました。
その通りです。自分で選択した道ですが、かなりのスピード婚でしたので、心構えが足りないところが多々あったと思います。
愛別離苦…私は前の旦那さんとは死別しています。短い期間ではありましたが、本当に中身の詰まったと言うか…結婚生活の半分以上は闘病ではありましたが、今思い返すと同じ時間を過ごせたことを幸せに思います。
旦那さんを大切に、情緒穏やかに支えていけたらと思います。いつもしあわせでいたいです。
本当にありがとうございます。