私はひとり。回答受付中
今日認知症介護施設の夜勤勤務を明けました。
最近、中途で入った女性のスタッフがいるんですが、私に挨拶してきません。
私より立場が上の人に言いましたが、挨拶してきたりこなかったり。
年齢も中年ですから、言われても(自分より若い人に)変わるわけもなく。
そんな話や夜間の勤務のことで気づいたことなどひとりの女性上司に話す予定だったのですが、話す時間をとってもらえず。私としては裏切られた気持ちや、私のことはどうでもいいんだろうとすごく腹が立ちました。
辞めたいなぁ大分前から思っていましたが、辞めて他に行っても嫌な人はいるだろうし、私が蔑ろにされたという気持ちはまたそこでも味わうんだろうし。
私はいつも、人に軽んじられていて、蔑ろにされてるとずっと思っています。他人から配慮されない自分。自分が他人に配慮しない人間だから、同じようなことをしてるから!?などいろいろ頭によぎって、もう嫌です。
ご意見をいただけましたらありがたいです。
お坊さんからの回答 1件
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ご相談ありがとうございます。夜勤明けでお疲れの中、胸に溜まっている思いを書いてくださったことから、日々どれほど気を張って働いておられるかが伝わってきました。
認知症の介護施設での夜勤は、体力的にも精神的にも負担の大きい仕事です。そのような環境で人間関係の悩みまで抱えるのは、本当にしんどいことだと思います。
今回の出来事で一番つらいのは、挨拶そのものよりも「自分が軽んじられているのではないか」という感覚ではないでしょうか。人は自分の存在を認めてもらえないと感じると、とても深く傷つきます。腹立たしさや悲しさが湧いてくるのは、決しておかしなことではありません。
ただ少しだけ視点を変えてみてください。人の態度は必ずしもこちらへの評価を示しているとは限りません。新しく入った職員の方も、環境に慣れず余裕がないのかもしれませんし、もともと人との距離の取り方が不器用な人なのかもしれません。挨拶をしないことが、必ずしもあなたを軽く見ているという意味とは限らないのです。
また、上司が時間を取ってくれなかったことについても、「あなたを大事にしていないから」と断定する必要はないと思います。忙しさや事情が重なっていただけの可能性もあります。人はどうしても、自分が傷ついた出来事を中心に物事を解釈してしまいますが、実際にはそこまで深い意味がないことも少なくありません。
仏教では「他人の心は思い通りにならないもの」と説かれます。相手の態度を変えようとすると苦しみは大きくなりますが、自分の受け止め方は少しずつ整えることができます。
例えば挨拶についても、相手が返すかどうかに関係なく、こちらから淡々と続けてみる。返ってこなくても「今日は余裕がないのかもしれない」と心の中で流してしまう。そのくらいの距離感でもよいのです。
そして大切なのは、あなた自身の価値を他人の態度で決めないことです。利用者さんのために夜勤をやり遂げているあなたの仕事は、それだけで十分意味のあるものです。辞めるかどうかは、心が落ち着いてから考えても遅くありません。まずはご自身の疲れを労わってください。あなたの働きは、きっと誰かの支えになっています。
ご自愛ください。


