お寺の装飾や仏像、お守りに金や赤をつかう理由は
お寺や仏像を見ることが好きで、心が落ち着きます。(お墓参りもおなじです)
いつも思うことですが、お寺(神社もそうですが)金色を施しているものが多く見かけます。お守りも赤や金色をつかっていますが、何か意味はあるのでしょうか?
仏像を見ると心が落ち着き昔の方の、こと(どうやって作られたのだろうか。とか)を思い浮かべて拝見させてもらってます。
職場での怒り。 自分の夢への実現が進まない。 仕事と家庭で他の事はでいない状態。 やりたいことあるけど、できない自分に腹が立つ、苛立ちを感じる毎日。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんばんは。
面白い質問でしたので少し調べてみました。
金色については、「三十二相」といって、お釈迦さまには32の特徴があるとされ、その中に「金色相」(体中が黄金色に光り輝いている)という特徴があるためだと思います。
赤は「赤」ではなく、「丹」(「朱」)色なのだそうです。古代日本や古代中国で、位の高い色とされていたようです。魔除けの色でもあるようですね。(これは私の想像ですが、金色は「反射」するので金色にも魔除けの意味があるのではないかと思います)
古いお寺などに行くと、渋い茶色の建物に真っ黒な仏像というイメージで、「落ち着くなぁ」ってなりますが、造られた当時は、朱色や金色が使われてハデハデだったかもしれませんね。
インド文化圏の感性と布施の行き着く先
まずグーグル画像で「シュエダゴンパゴダ」をググって下さい。次に「ミャンマー 仏像 LED」でググって下さい。ハイ、これが仏教国です。仏教はそんな感性の国から伝来しました。侘び寂び?古寺の趣?苔寺?枯山水?それこそ日本仏教オリジナルの文化です。
アッチのほうでは元は白い細身の仏像だったのに、参拝者さんがみんなで金箔を貼っていくからキンキンキラキラ・メタボ体型になっちゃって、LEDでピカピカしている仏像ほど有り難しされます。なぜか?それほどまでに多くの人々が帰依し、布施してきた霊験あらたかな仏像に違いないという感覚なのだそうです。
逆に日本の国宝や重文の仏像は壊れたら壊れたまま、木の色も落ち着き、歴史の重みを感じさせる趣がありますね。でもアッチの人がそれを見ると「…え?なんで仏様がこんなにボロボロで放っておけるの?ホントに仏教徒なの?」と思われるそうです。
カルチャーショックですね。
1つにはそのように『信徒の善意による施しの現れ』です。そのたくさん施しを受けた仏像が中国に伝来し、事情が分からないままそういうものだとされたとも言われています。
それから一切の先入観を取り払い、ありのままに金を見れば、金はただの金であって何も悪くないんです。現代日本人が「金は贅沢の象徴」という価値観で金を悪者にしてしまっているだけです。仏教徒はそんな自分自身の差別心にこそ気付かねばなりません。
私は大晦日の夜に庭から本堂を見て、真っ暗な本堂のフレームの中央に神々しい須弥壇が浮かび上がるのが好きです。浮世の闇を照らす仏の智慧を象徴しているようで。ここに救いがあるぞ!みんなここにおいで!って感じがするんです。
赤は昔の日本では高貴な色なのだそうです。「美智子様 十二単」でググってみましょう。なるほどと思っていただけると思います。だから日本基準で良い物を施そうとして行き着く先の1選択肢なのかもしれません。これもまた『信徒の善意による施しの現れ』でしょうか。
神社では聖の色というニュアンスが強くなりそうなイメージがあります。あくまで個人的なイメージですが。生の領域(人間界)と死の領域(自然界)。その転換点が聖です。
あとはウィキペディアで「五色 仏教」も検索してみてください。面白いですよ。赤も含まれています。
URL貼ったほうが親切ですが字数を圧迫するのでご容赦下さい。