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お寺の装飾や仏像、お守りに金や赤をつかう理由は

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有り難し有り難し 31

お寺や仏像を見ることが好きで、心が落ち着きます。(お墓参りもおなじです)
いつも思うことですが、お寺(神社もそうですが)金色を施しているものが多く見かけます。お守りも赤や金色をつかっていますが、何か意味はあるのでしょうか?
仏像を見ると心が落ち着き昔の方の、こと(どうやって作られたのだろうか。とか)を思い浮かべて拝見させてもらってます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんばんは。

 面白い質問でしたので少し調べてみました。

 金色については、「三十二相」といって、お釈迦さまには32の特徴があるとされ、その中に「金色相」(体中が黄金色に光り輝いている)という特徴があるためだと思います。

 赤は「赤」ではなく、「丹」(「朱」)色なのだそうです。古代日本や古代中国で、位の高い色とされていたようです。魔除けの色でもあるようですね。(これは私の想像ですが、金色は「反射」するので金色にも魔除けの意味があるのではないかと思います)

 古いお寺などに行くと、渋い茶色の建物に真っ黒な仏像というイメージで、「落ち着くなぁ」ってなりますが、造られた当時は、朱色や金色が使われてハデハデだったかもしれませんね。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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インド文化圏の感性と布施の行き着く先

まずグーグル画像で「シュエダゴンパゴダ」をググって下さい。次に「ミャンマー 仏像 LED」でググって下さい。ハイ、これが仏教国です。仏教はそんな感性の国から伝来しました。侘び寂び?古寺の趣?苔寺?枯山水?それこそ日本仏教オリジナルの文化です。

アッチのほうでは元は白い細身の仏像だったのに、参拝者さんがみんなで金箔を貼っていくからキンキンキラキラ・メタボ体型になっちゃって、LEDでピカピカしている仏像ほど有り難しされます。なぜか?それほどまでに多くの人々が帰依し、布施してきた霊験あらたかな仏像に違いないという感覚なのだそうです。

逆に日本の国宝や重文の仏像は壊れたら壊れたまま、木の色も落ち着き、歴史の重みを感じさせる趣がありますね。でもアッチの人がそれを見ると「…え?なんで仏様がこんなにボロボロで放っておけるの?ホントに仏教徒なの?」と思われるそうです。

カルチャーショックですね。

1つにはそのように『信徒の善意による施しの現れ』です。そのたくさん施しを受けた仏像が中国に伝来し、事情が分からないままそういうものだとされたとも言われています。

それから一切の先入観を取り払い、ありのままに金を見れば、金はただの金であって何も悪くないんです。現代日本人が「金は贅沢の象徴」という価値観で金を悪者にしてしまっているだけです。仏教徒はそんな自分自身の差別心にこそ気付かねばなりません。
私は大晦日の夜に庭から本堂を見て、真っ暗な本堂のフレームの中央に神々しい須弥壇が浮かび上がるのが好きです。浮世の闇を照らす仏の智慧を象徴しているようで。ここに救いがあるぞ!みんなここにおいで!って感じがするんです。

赤は昔の日本では高貴な色なのだそうです。「美智子様 十二単」でググってみましょう。なるほどと思っていただけると思います。だから日本基準で良い物を施そうとして行き着く先の1選択肢なのかもしれません。これもまた『信徒の善意による施しの現れ』でしょうか。
神社では聖の色というニュアンスが強くなりそうなイメージがあります。あくまで個人的なイメージですが。生の領域(人間界)と死の領域(自然界)。その転換点が聖です。

あとはウィキペディアで「五色 仏教」も検索してみてください。面白いですよ。赤も含まれています。
URL貼ったほうが親切ですが字数を圧迫するのでご容赦下さい。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ