いのちの大切さを教えて下さったのか
夕方に仕事を終え雲行きが芳しくなく急ぎ足で交差点を渡ろうとしました。
お話しをした感じから察すると50代後半の男性が私に市内の総合病院の場所を訪ねて来られました。
「どうされました、大丈夫ですか?」と掛け声をかけると「症状」を教えて下さり総合病院には少し距離があるので向かいにある別な総合病院を提案させていただきました。
「行ってみます」と男性は話をかけて下さり、私は交差点を渡ろうとしながら、その男性のことが気にかかり何度か振り向いてみました。
フラフラと歩く男性の姿、目前に病院がありながら少し違う場所を歩かれる姿を目の当たりにする不思議な時間。
「儚さを感じた時間」と言えば宜しいのでしょうか。その方は恒久平和を伝える公園の前で私に何か「いのちの大切さ」を教えて下さったのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは共生(ともいき)です。
共生(ともいき)です。
あきらさんは、その方に、より相応しい病院を紹介し、その代わりに、何とも言葉にし難い感情を得たのです。
我々の生活は、さまざまな生物との共生のうえで、成り立っています。
自分ひとりで判断した事だ、と思ってしまいがちですが、その決断をするのにも、さまざまな方々との縁が、絡みあってきます。
それらの方々と、共に生きていることへの感謝の気持ちを忘れずに、日々を過ごしていきましょう。
いのちとは。。。。
いのちの大切さ、いのちのおおきさ、いのちの尊さ。。
を、その男性は教えてくださったのでしょう。
『 命 』という字には、天、神仏から頂いた、尊いものを 大切にし、受け継いでいく、という意味があるそうです。
この命を、大切にし、命ある限り、真っ直ぐに進んでいきたいと、あきらさんのお話から、思わせて頂きました。
有難う。
質問者からのお礼
お言葉を拝見させていただいております。
お教えいただきましたこと、有り難うございます。
仰るとおり「いのちは儚く」「尊いものである」ことを私事で恐縮でございますが、健康面で自分と向き合う時に様々な事を感じ思う時がございました。
「永く生きることが出来ないのでは?」と先日も瀬戸内の穏やかな故郷へ帰った折、祖父母が眠る墓石をさすり思い出の場所を訪れた帰り道に感極まる時間でした。
僅かながら「楽にもなりたい」と感じ思っていました。
そのような経緯であり昨日の出来事「もし目の前にある病院へ付き添いをすれば何かが変わったのかも知れない」今となっては今朝、夕方に同じ場所を見た時に言葉では表すことが出来ない感情をいただきました。
その方が今となっては気になります。
気になるのは思う感情を寄せているのかも知れませんね。
お言葉を拝見させていただいております。
お教えいただきましたこと、有り難うございます。
仰るとおり「いのちは儚く」「尊いものである」ことを私事で恐縮でございますが、健康面で自分と向き合う時に様々な事を感じ思う時がございました。
「永く生きることが出来ないのでは?」と先日も瀬戸内の穏やかな故郷へ帰った折、祖父母が眠る墓石をさすり思い出の場所を訪れた帰り道に感極まる時間でした。
僅かながら「楽にもなりたい」と感じ思っていました。
そのような経緯であり昨日の出来事「もし目の前にある病院へ付き添いをすれば何かが変わったのかも知れない」今となっては今朝、夕方に同じ場所を見た時に言葉では表すことが出来ない感情をいただきました。
その方が今となっては気になります。
気になるのは思う感情を寄せているのかも知れませんね。