友人、知人、他人と自分を比べ、劣等感を感じてしまいます。
2014年に結婚をし、夫婦ふたりで暮らしています。
現在、私は子宮内膜症の治療中(ピル服用)のため、妊娠が叶いません。
併せて、婦人科では卵管閉塞のため、妊娠を望む際は体外受精しか見込めない、と伝えられています。
不妊ノイローゼの方の、生理が来る度に落ち込んでしまうような気持ちの落ち込みを聴く度に、不妊治療は自分を追い詰めてしまうだろうな、と感じていました。(今でもそう思っています)
私たちの場合は、お金をかけて、時間をかけて不妊治療に挑むことはしない選択を行い、恒常的に痛みの強い子宮内膜症をとにかく治そう!と夫婦で話し合いました。
ただ、ちょうど結婚が同時期の友人、知人が多く、現在は其処此処で出産ラッシュです。
おめでとう!を伝える度に、夫や親に私たちの赤ちゃんを抱っこさせてあげられないことに、罪悪感や劣等感をチリチリと感じるようになり、最初は「気のせいかな?」と思う程度でしたが、今は考えだすと涙が落ちるようになってしまいました。
「赤ちゃんは授かりもの」とは本当にその通りで、やはり心に余裕がない今の自分には到底近しいものではないなと感じています。
多分私は、子育てをしたいのではなく、「赤ちゃんがいない自分」に劣等感があるのだと思います。
他人と比べても苦しいだけ、とわかっていながら、そこから動けずにもがく自分が情けなく、哀しいです。
自分の身体を嘆いても仕方がないのに、そしてしっかり身体を治そう!と二人で話し合ったのに、ゆらぎ、迷う自分がいます。
妊娠ではなく、現在の子宮内膜症の治療に専念をして、健康な状態で二人仲良く暮らしたいです。ぐずぐずとしてしまう今が辛く、視点を変えることができればうれしいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ダニヤ夫妻と悪魔
ダニヤ夫妻という夫婦がいました。
彼らは牛飼いをしていましたが
仏陀の教えに感激し、弟子になることになりました。
するとそこに悪魔が現れてそっと夫婦に囁きました。
「子あるものは子について喜び、
また牛のあるものは牛について喜ぶ。
執着するよりどころによって、人間に喜びが起こる。
執着するよりどころのない人は、実に喜ぶことがない」
出家すると、牛(財産)も手放さないといけないし、子どもも持てません。
そうすると喜びがなくなってしまう……
ダニヤ夫婦の決心が、悪魔の発言で鈍りました。
これに対して仏陀はこう語りました。
「子のある者は子について憂い、
また牛のある者は牛について憂う。
実に人間の憂いは執着するもとのものである。
執着するもとのもののない人は、憂うることがない」
・・・・・
この仏さまの価値観は、世間一般の価値観とは真逆です。
"これがあるからイイ""これがないと大変"
例えばテレビのCMはどれもこうやって煽ってきます。
すると欲しくなる…でも色々な理由で手に入らない…途端に苦しみになる。
これが世間一般の、俗世間の流れです。
仏教の幸福は「あるから」ではありません。
確かに子どもがいる幸せを語る人はいるでしょう。
ですが、それ故の苦しみも同時に必ずあります。
子どもに限らず、恋人・財産・家族…全部そう。
「ないから」ゆえの幸福もあるんです。
それに気付き、自分の執着心と向かい合えた時に、
仏さまの示す神聖な道に乗ったと言えるかもしれません。
(↑なんて書いた自分もまだまだ全然乗れてませんが(>_<)
みつばちさんだけの人生に、みつばちさんだけの幸福が必ずあります。
大丈夫ですよ(^_^)
質問者からのお礼
ありがとうございます。
いまの私は、「ないから」ゆえの幸福を、見失っているようです。
自分の執着心と、まだまだ向き合えていないのですね。
恥ずかしさ、口惜しさ、焦り、そんなみじめで情け無い自分を、少しずつ外から眺めてみる訓練をしてみたいと思います。
大丈夫って言ってくださって、ありがとうございました。