苦しい事
接客をしていて、匿名で自分にクレームが来ました。
確かに100%私が悪いです。
私の悪いクセが今回のクレームを引き寄せました。
自分が悪いとわかりつつも、心がモヤモヤするし、不安が募ります。
正直怖いです。苦しいことから逃げたいです。
ネットで調べて不安を解消しようと思いました。
そしたら、仏陀がある少女に言った例え話で「毎日車を引いていた牛が、苦しみから解放されるために車を壊したら、鉄の車を付けられ、倍の苦しみがきた」とありました。
こんなことで挫けるなんて心が弱すぎるのかもしれません。
ですが、もうどうすればいいのかわかりません。
苦しいです…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仕事は「私事」ではなく「お仕事」ですから。(._.)
お仕事でないときは、喜怒哀楽が顔に出たってよいでしょうが、お仕事はそれなりの報酬をいただいて、そのお店の顔として働いている以上は「わたくし」を滅してご奉公するのが良いでしょう。
笑顔を仕事とする仕事もあります。
勿論、度を越してはいけませんが、自分の許容範囲でできる限りのサービス、おもてなしを心がけるようにしましょう。
ある仕事をしていて、そこでトラブルがあってやめた人が、次の職場でも嫌な人がいて退職し、その次の職場でも嫌な人がいて退職したそうです。
今後も人生は続いていくものです。
仏教は、変わりゆく相手や出来事に対して、反応するこの自分自身の心のあり方を「わたくし事」無しになっていくことです。
私(わたくし)という姿勢は、自分のルール優先主義なので、どうしても自分の好き嫌いが露骨に出ます。
携帯でもマナーモード、通常モードの使い分けがありますように、この自身も設定を24時間自分全開ちゃんですと何かと衝突や面白くないことがつきものです。
坐禅や瞑想は、そのワタクシモードをOFFにする心のありようです。
どんなことを認知、知覚しても、もともとが自分流の思い方が起こっていないままに処することで、何も座ることではありません。24時間の無私、無我、無作(能動的意識のないこと)があなたの人生をより快適にさせます。
機会があればお近くの坐禅会に参加され、自分の心の中の能動的な意識をパソコンのカーソルを触らぬようなあり方として、四六時中のスクリーンセーバー状態を体得されることをお勧めします。
質問者からのお礼
私はやってしまいました。
「私」を出してしまいました。
上司には「お前が一生懸命やってくれてることはわかるけど、今回のはちょっと…」と言われました。
どうしたらいいのでしょう?
どこかでつまずくはずのものが、今来ました。
人はこれを越えてこそ成長なさるのでしょうが、私にはムリそうです。
越えられない壁は無いだの、越えられない試練は与えられないだの言いますが、越えられない壁も試練もあるみたいです。
そして今回のが私にとって越えられない壁であり試練です。
今一番いけない選択肢だとは分かっていますが、逃げたいです。
会社を辞めて全ての人に会わない生活を送って、今から逃げたいです。
辛い。逃げたい。