悔しい想いをして亡くなった人の気持ちはどうなりますか
大事な彼が亡くなり今日で19日が経ちました。
毎日が後悔でやり切れません。
彼は肝硬変がかなり進んだ状態だと医者には言われ、復水を抜く治療が見つかると思い4ヶ月を過ごしてきました。
2度の検査入院をし、担当医のはっきりしない態度に不安を持ちながら過ごしていました。
時々逢う私には治る病気ではない。どうせ永く生きられない。もうすぐ死ぬ人間にそんな事しなくて良いなんて事も言いだしました。
私は彼の病気に無知でした。もっと力になりたかったと悔まれます。
彼と私は26年間一緒でした。ただ彼は私と知り合う数年前に昔の彼女と結婚していました。彼女には自分の子供だと言われていたようですがそうは思っていませんでした。
彼女には精神疾患があり時々理解しがたい行動をとっていましたが病気の人間を放り出すような事は出来ない。私には悪い。と言っていました。
病気になった時、そんな彼に家族は冷たい態度でした。
最後になってしまった日、私に話した事が忘れません。
俺の集大成がこんなものか。人の家族を背負いこんで。食べたい物も惜しまれる。顔も見たくない。声も聞きたくない。
実のお兄さんにも奥さんにもお金の事では利用された事を悔しがっていました。
その時私はどうする事も出来ず、ただ話しを聞いていただけでした。
三日後、最後の電話になってしまった時、私に逢った時のお礼を言って、もうえらいから横になる。と言った言葉が最後になってしましました。
彼はいつも別れ際、私にありがとうと言ってくれました。
最後にこんな思いをして逝ってしまった彼は今はどう思っているのでしょうか心配です。
人が亡くなると四十九日間はまだこの世をさまよっていると聞きました。
彼の遺骨は私の手元のにはありません。
憎しみしかないと言っていた家族の元にしかありません。そんな状態でも彼は成仏できるのでしょうか。
亡くなった人の節目になる五七日と四十九日にお寺でお経をあげたいと思っています。
家族でない私がする事は亡くなった本人の為に良くないのでしょか。
また、私たちのような繋がりでもまた彼に逢う事は出来るのでしょうか。私のすべてだった彼にまた逢いたいです。彼を感じる事はどうしたらできるのでしょうか。
取りとめもなく長々と申し訳ありません。
病気で亡くなった彼に本当の気持ちを伝えられなかった事、彼の最後の悔しい想いを助けてあげられなかった事への後悔
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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救わずにはおれない
はなさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
よろしくお願いします。
普段は宗教的な内容をあまり前面に出さないようにしているのですが、今回は私の信ずる浄土真宗の教えを説くことをお許しください。
ある時、お釈迦さまが弟子たちに「広大な海の水の量と、人間が流した涙の量と、どちらが多いだろうか」とお尋ねになりました。
弟子たちは少し考え、そして「人間が流した涙の方が多いと思います」と応えました。
お釈迦さまは大きく頷き「その通り、人々が流した苦しみの涙、悲しみの涙、悔しさの涙は、広大な海の水よりも多い。人生を本当に満足して亡くなる者は少なく、ほとんどの人は無念の涙を流して亡くなるのだ。その涙を見て『救われずにおれない』と誓ったのが阿弥陀仏なのだ。
仏さまが『救う』と誓われたのだから、どれだけ無念を残して亡くなった方も、必ず救われていくのだ」とおっしゃいました。
はなさん
彼は苦難の人生を送り、それに寄り添った はなさんも、大きな苦しみ悲しみを抱えていらっしゃることと存じます。
しかし、家族や兄弟のことを話すことができ、最後の日々に「ありがとう」と言える貴女が傍にいてくれた彼の人生は、その一点において素晴らしいものだったのではないでしょうか。上記の話に登場する阿弥陀仏のように、はなさんは彼にとって救いの存在であったと思います。
彼は四十九日までこの世をさ迷うのではなく、すでに仏さまの世界に救われていると、私は信じています。
お骨にこだわることはありません。あくまで身体の一部でしかありませんので、ご心配なさらないで下さい。
節目にお寺でお経を上げて頂いても結構ですし、彼を想って手を合わせるだけでもよろしいかと思います。はなさんが合わせるその掌の中に、彼がいらっしゃるのだと思います。
そして はなさんがいつかこの世を去った時、仏さまの世界で彼と出逢えるのだと思います。その時に彼が笑顔で迎えてくれるよう、これからの人生を歩んでいって頂きたいと念じております。
供養は人のためにするもの
はなさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。
大切な彼が亡くなってしまい、寂しくなりましたね。お悔やみ申し上げます。
さて、亡くなった彼は本当に後悔しているでしょうか。私は、彼がはなさんに語った様々なことは彼の愚痴のように感じました。はなさんとの別れ際には、彼が必ず「ありがとう」といったのは、彼は「僕の愚痴を聞いてくれてありがとう」と言いたかったのではないでしょうか。
生きているうちに本人の思い通りに行かないことを仏教では苦しみと説きます。生きていく上で思い通りに行かないこと、苦しみはあるものです。彼にとって苦しみを聞いてくれたはなさんの存在は大きかったのではないでしょうか。
彼の三十五日忌と四十九日忌は、はなさんがなさってください。供養は自分以外の誰かのために行うものですから。供養を続けると亡くなった彼のことが身近に感じられるようになると思います。
質問者からのお礼
なごみ庵の浦上哲也和尚様
早々に回答を頂きありがとうございます。浄土真宗の教えありがたく拝読しました。
父は高齢で病院住まい、同じく高齢の母と暮らしております。日中は仕事もあり一人になれる深夜の
お返事大変失礼します。
この場所も深夜にやりきれずたどりつきました。
私でも彼の救いになれたんですよね。嫌だったら26年も傍においてもらえませんよね。
昔、酔っぱらった彼は私に尊敬されたいと言っていました。言葉どうり彼は誰が見ても物事を良く知り、周りから頼りにされていた人です。私がずっと尊敬する人です。
彼も骨なんかにこだわるなと言いそうです。彼が自分の悔しさを話してくれたのは本当に私を頼りにしていてくれたのだと思っていきます。
『私が合わせるその掌の中に、彼がいる』そう信じ、また必ず彼に逢えると信じて生きたいと思います。
まだ気持が不安定でうまく書けませんが本当にありがとうございました。
中村太釈和尚様へ
お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。回答頂きありがとうございました。
本日、いいえ正確には昨日になりますが彼が一番信頼を寄せていたと思われる先輩に話を聞いて
もらいました。
お寺でお経をあげてもらいたいと話したところ、彼の性格を考えたらそんなことは望んでいないと思う。
私が手を合わせていれば良いと思うと言われ迷っています。
それは私も思っていた事なので…