気持ちの切り替え
買い替えのきかない大事にしているものに傷をつけられたり、壊してしまったりした時どのように気持ちを切り替えたら良いのでしょうか?
私はすごくそのようなことがある度、そのことにとらわれてしまいます。
そして他にも大事なものに傷がついたりしやしないかとビクビクしてしまいます。
それらは本来私を癒してくれたりするはずのものなのにマイナスの気持ちを持って見てしまい、またそれがそのものに申し訳なくなるのです。
執着は良くないなと思うのですが、今回傷をつけられたものをなかなかしょうがないと諦めることが出来ません。何か良い考え方があれば教えて頂けませんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
変化し続けている
ものはものでしかない。
永遠なものはないです。同じものに見えても、1秒前のそれとは違う。人は記憶があるから過去と比べてその変化に一喜一憂するのです。
常に変化し続けていて、それでいて完璧なんです。足りないものなんて一つもない。事実は今だけ。
記憶には用はないのです。
諦めなくても、事実は明らかです。
明らめきっている事実に学ぶのです。
所有物に心を所有されてはいけない
自分が大事にしているものに傷がいくというのは、非常に耐えがたい事。
いくら諸行無常といえども、執着してしまうのが人情です。
この度の事、ご心中お察し申し上げます。
さて、かなこさんの大切にされている者は、どれも貴重なものばかりでしょう。
しかしそれは、あなたの身体の一部ですらありません。
あなたの「所有物」なのです。
そう、本来は癒されるなど、かなこさんの利益になるはずのものです。
それが、いつのまにかその「モノ」により気持ちが沈んでしまったり、心を奪われています。
さらには、起こるかどうかわからない事にまで、心が振り乱されています。
本来所有物である存在に、あなたの心は所有されている状態です。
大切なものに傷をつけられた事に、辛いとか悲しいなとか、感情が沸き起こるのは人間の自然な状態ですので、それは打消し難いでしょう。
しかし、モノにとらわれ過ぎて、ご自身の心がモノの所有物になる事は避けたいものです。
思うようにはいかない。でも大事なものは大事!でいいです。
ご相談読ませていただきました。
執着は良くないなと、その気づきはまず素晴らしいものです。
でもやっぱり、そんなに簡単に割り切れるもんじゃないですよね。
私も好きな作家さんの本を新刊で買ったりして、でも家族がそれを読んで本の帯を捨てたりしていると、なんともいえない気持ちになってしまいます。
大切なものを完全な状態で手元に置いておきたいというのは、わかる気がします。
お坊さん的なお説教をするならば、世の中の移り変わりは無常であって、いつまでもそのままを保っていられるものなどない。だからそういう物事に執着すべきではないと、そんな理屈です。
ですが、理屈は理屈。
それはそれとして、かなこさんが欲しいものを手に入れて嬉しかった気持ちはかなこさんの中に確かにあるし、それが傷ついて悲しい気持ちもあるし、そうして悩んでいる気持ちもあるわけで。
どちらも真実です。
移ろいゆく儚い世の中であれど、その中で私たちは色々なことを思い、生きていくのです。
だから、今気持ちが切り替えられないなら、まだ切り替えなくてもいいです。
理屈としては、物事に執着すべきでない。それをなんとなくわかったうえで、
嬉しいときは嬉しいとはしゃいでいいし、悲しいときは悲しいと、悔しいときは悔しいと叫んでいいんです。
生きていくというのは、周囲との色々な関わりの中で営まれるものです。
物事が上手くいったとき、それが自分一人だけの力でできたわけではないのと同様に、
物事が上手くいかないときも、それは自分だけのせいというわけではありません。
大事なもの、大事な気持ちは、誰かに何かを言われたからといって、ああそうだよね、しょうがないよねと、簡単に言えないからこそ大事なんです。
他人の言葉でなんとなく解決した気になっても、後でまた後悔が生まれるかもしれません。
ここでの問答を含めて、多くの言葉に触れて、自分で悩んで、そうしてかなこさん自身が、ああそうだなと納得できる答えを、ゆっくり探していただけたらと思います。