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気持ちの切り替え

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有り難し有り難し 19

買い替えのきかない大事にしているものに傷をつけられたり、壊してしまったりした時どのように気持ちを切り替えたら良いのでしょうか?

私はすごくそのようなことがある度、そのことにとらわれてしまいます。
そして他にも大事なものに傷がついたりしやしないかとビクビクしてしまいます。
それらは本来私を癒してくれたりするはずのものなのにマイナスの気持ちを持って見てしまい、またそれがそのものに申し訳なくなるのです。

執着は良くないなと思うのですが、今回傷をつけられたものをなかなかしょうがないと諦めることが出来ません。何か良い考え方があれば教えて頂けませんでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

変化し続けている

ものはものでしかない。
永遠なものはないです。同じものに見えても、1秒前のそれとは違う。人は記憶があるから過去と比べてその変化に一喜一憂するのです。
常に変化し続けていて、それでいて完璧なんです。足りないものなんて一つもない。事実は今だけ。
記憶には用はないのです。
諦めなくても、事実は明らかです。
明らめきっている事実に学ぶのです。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

所有物に心を所有されてはいけない

自分が大事にしているものに傷がいくというのは、非常に耐えがたい事。
いくら諸行無常といえども、執着してしまうのが人情です。
この度の事、ご心中お察し申し上げます。

さて、かなこさんの大切にされている者は、どれも貴重なものばかりでしょう。
しかしそれは、あなたの身体の一部ですらありません。
あなたの「所有物」なのです。
そう、本来は癒されるなど、かなこさんの利益になるはずのものです。

それが、いつのまにかその「モノ」により気持ちが沈んでしまったり、心を奪われています。
さらには、起こるかどうかわからない事にまで、心が振り乱されています。
本来所有物である存在に、あなたの心は所有されている状態です。

大切なものに傷をつけられた事に、辛いとか悲しいなとか、感情が沸き起こるのは人間の自然な状態ですので、それは打消し難いでしょう。
しかし、モノにとらわれ過ぎて、ご自身の心がモノの所有物になる事は避けたいものです。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

思うようにはいかない。でも大事なものは大事!でいいです。

ご相談読ませていただきました。

執着は良くないなと、その気づきはまず素晴らしいものです。
でもやっぱり、そんなに簡単に割り切れるもんじゃないですよね。

私も好きな作家さんの本を新刊で買ったりして、でも家族がそれを読んで本の帯を捨てたりしていると、なんともいえない気持ちになってしまいます。
大切なものを完全な状態で手元に置いておきたいというのは、わかる気がします。

お坊さん的なお説教をするならば、世の中の移り変わりは無常であって、いつまでもそのままを保っていられるものなどない。だからそういう物事に執着すべきではないと、そんな理屈です。
ですが、理屈は理屈。
それはそれとして、かなこさんが欲しいものを手に入れて嬉しかった気持ちはかなこさんの中に確かにあるし、それが傷ついて悲しい気持ちもあるし、そうして悩んでいる気持ちもあるわけで。

どちらも真実です。
移ろいゆく儚い世の中であれど、その中で私たちは色々なことを思い、生きていくのです。

だから、今気持ちが切り替えられないなら、まだ切り替えなくてもいいです。

理屈としては、物事に執着すべきでない。それをなんとなくわかったうえで、
嬉しいときは嬉しいとはしゃいでいいし、悲しいときは悲しいと、悔しいときは悔しいと叫んでいいんです。

生きていくというのは、周囲との色々な関わりの中で営まれるものです。
物事が上手くいったとき、それが自分一人だけの力でできたわけではないのと同様に、
物事が上手くいかないときも、それは自分だけのせいというわけではありません。

大事なもの、大事な気持ちは、誰かに何かを言われたからといって、ああそうだよね、しょうがないよねと、簡単に言えないからこそ大事なんです。
他人の言葉でなんとなく解決した気になっても、後でまた後悔が生まれるかもしれません。
ここでの問答を含めて、多くの言葉に触れて、自分で悩んで、そうしてかなこさん自身が、ああそうだなと納得できる答えを、ゆっくり探していただけたらと思います。

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有り難し
おきもち

天台宗寺院の住職をしております。 占い師さんや西洋思想の方面にも知り合いがいたり、他宗教の集まりにも顔を出したりと、あくまでも天台僧としての軸はそのままに、幅広く学んでいます。 そういった点から、少し違った目線でのお話もさせていただけるのではないかと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ