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血の繋がり。本当の幸せとは。

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里親として5才の子を育て3年程になります。

長期で育てられるはずでしたが半年後に引き取りが決まりました。
あまりにも突然で現実を受け入れることができません。

愛情一杯何不自由なく育ててきました。
たくさんの愛情を一身に受け、明るく元気に育ってくれていますが、来た当初はそれは大変でした。

どんなに心細く不安だったろうと思います。
それを乗り越えやっと家族になり幸せに暮らしています。

それなのにどうして大人の勝手な都合だけで今の平穏な暮らしを壊されなくてはいけないのでしょうか。

親権第一の日本で里親はどうすることもできません。
児童相談所は実親寄りの立場にいると感じます。
子供の気持ちは一切関係ないのです。

人生にはどうすることもできないことがあると諦めるしかないのでしょうか。

縁があればどんな状況でも離れることはない、離れてしまうのは縁がなかったと思うしかないのでしょうか。

でも、そう言われて諦められるものではありません。
信じる者は救われるのですか。

子供を育てるのに充分な環境とはとても言えず、
そのような所に帰る子の先行きが不安で仕方ありません。

私達の方が絶対に幸せにできる自信はありますが、それは傲慢ですか。

どんなに貧しく恵まれた環境でなくても、血の繋がった肉親と暮らすことが本当の幸せですか。

あと少ししか過ごせない焦りと不安、何もできない苛立ち、 日増しに大きくなる実母への憎悪、、、
こんな気持ちを抱えて過ごす毎日は辛すぎます。

地獄におちてもいい、どんなことをしてでもこの子を絶対守る。
それが母親というもの。
世の中には他人を犠牲にして幸せに暮らしてる人たくさんいるんだから。

という思いと、

そんなことをして手に入れた幸せなんて本当の幸せではないし、それはいつか破綻するだろう。

という思いが入り混じってます。

私はどうしたらいいですか。
助けて下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

実母にチャンスを

貴方の方が物質的、精神的にも裕福で、子供に与えられる愛情が大きい。それは感じます。
理屈で考えればどうにも理不尽でしょう。

しかし、このままあなたの愛を一身に受けて育った子供は、実母を恨むのではないか、と感じました。

日蓮大聖人のお言葉に「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり」とございます。
この言葉は大好きな母を亡くされた方に対する慰めの言葉ではありますが、例え逆の感情を抱いていたとしても、親は親なのではないでしょうか。

自分を捨てた人のことなど知りたくもない、関わりたくもないと思っても、その血の半分は実母のものです。
実母を恨むということは、自分の半身を一生恨み続けることではないでしょうか。

実母にチャンスを与えるのは実母のためではありません。
その血を継いで生きなくてはいけないお子様自身のためです。

あなたは菩薩様のような方ですね。
どうか、手元を離れてもお子様への愛情を保ち続けてください。
例え実母がチャンスを活かせずお子様が傷ついたとしても、自分を愛している人が世界にいるという事実がその子を救うことになるのですから。

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けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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経験者として(僧侶として回答できずにすいません)

まろん様、お気持ちお察し申し上げます。私も養育里親経験者です。

ご自身でよくお分かりなのだと思います。養育里親という立場上いつかはこの日がくることを。
諦められるものでなくとも、諦めなければならない、その気持ちをどこにぶつけていいかお困りなのでしょう。

それに耐えられないなら、養子縁組里親や民間団体を通じての特別養子縁組があることもよくご存じですよね。どの制度が一番とかでなく、子どもを取り巻く状況が様々なものであるため、どれも必要なものなのでしょう。その中で養育里親を選択されたわけですから…。

3年という月日は長いと思います。もうまさに家族だったわけですよね。夫婦のように血のつながりがなくたって家族になれる。それは里親と里子でもそうであり、ご縁によって私たちは家族になれるわけです。

しかし、おっしゃる通り縁にはどうにもならないものがあります。「子供を育てるのに充分な環境」かどうかは児相が判断することです。私たちの立場では主観が入ります。「充分かどうか」は実親と里親どちらが優れているということではなく、「養育可能かどうか」「可能ならば実親」ということなのでしょう。

私たちはもっと短期間の養育でしたがやはり当初は長期の予定でした。大人の都合で振り回される子のことを考えると胸が苦しくなります。それでも子どもはそのどうにもならないご縁をせいいっぱいに引き受けていきます。
私たちは最初から実親さんのもとに戻ることをイメージして養育してきました。もちろんウチにずっといることになるのなら受け止める覚悟をもって。だから子どもには安心してウチにいてもらえるように、そして私たちに気をつかわずに実親を恋しく思う発言をできるように心がけてきました。
子どもは大人の顔色をうかがい、喜ばせようともします。子の意志でたとえ里親を選んだとしてもそれが本当の意志なのかはわかりません。
養育可能である環境ならば実親の元に戻るのが一番と考えるのも無理はないのかもしれません。

それでも同じくやりきれないものはあります。モヤモヤするものもあります。期間が長くなれば長くなるほど恩愛の絆は断ちがたいものがあるでしょう。

「また会えるかな」

そんな思いを胸に、遠くから幸せを願っています。そして、自分は自分のできることをする。
私たちが幸せでないとその子も幸せにならない、そんな気がするからです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

けいじょう様、吉武様ご回答ありがとうございます。
お言葉、心にしみます。
まだまだ涙に暮れる毎日ですが、あの子の幸せを信じ精一杯愛し続けます。

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