真面目に生きることの意味
お世話になっております。
真面目に生きることに対して
困惑しています。
幼少期から真面目に優しく
生きることを言いつけられてきました。
親の言いつけを守ったのに、
約束を果たしてもらえない。
新たな仕事に取り組みたくて
土日も勉強をして、努力しているのに
仕事を振ってもらえない。
真面目に仕事をしているのに
他人のミスを押し付けられ、怒られる。
真面目に仕事をしているのに、
人違いで怒られ、あげく殴られる。
仲の良かった友人の裏切りなど
人生思い返すと悲しいことばかりです。
真面目に生きてきて、
得をした覚えがありません。
何故、こんなにも物事が
上手く回らないのでしょうか…?
真面目に生きているのに
寧ろマイナスに物事が
向かっているように感じます。
ストレスが溜まって悪循環に
陥っているように思います。
それとも卑怯になり、
嘘をつき、人を騙して
私欲のために悪の限りを尽くせば
人並みに幸せになれるとでも
言うのでしょうか…?
人の生き方がそのような
物だとしたらとても悲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
”それとも卑怯になり、 嘘をつき、人を騙して 私欲のために悪の限りを尽くせば 人並みに幸せになれるとでも 言うのでしょうか…?”
まさか(笑)
まぁ、たしかに他人を蹴落として儲ける人もいれば、のぼり詰めていく人もあるようですが、果たしてそれで堂々と生きていけるものなのかは、いささか疑問に思います。
始皇帝もヒトラーもポルポトも、そしてお隣のあの国のあの人も、ちょっとでも気に入らなければすぐ人を処刑するようですが、裏を返せばそれだけ不安で孤独だということです。足下をすくわれないうちに、寝首をかかれないうちに先制攻撃を仕掛けておかないと、不安で不安で仕方がないのでしょう。せっかくの権力も財力も、堂々と使えないような獲得の仕方をするくらいなら、はなっから無いほうがマシなのかもしれませんよ。
仏教には【因果応報】という言葉があります。
あなたは真面目に生きてきたのに得るものが無いじゃないかと不満に思っているわけですが、はてしてそうでしょうか?
「真面目に生きてきた」という因があるならば、必ず「真面目に生きてこられた」という果が得られています。
仏・菩薩等、みんなそこを見ていますよ。
真面目にやってきたからこそ、堂々と意見できます。
真面目に稼いできたからこそ、堂々とお金を使えます。
真面目に働いてきたからこそ、堂々と遊ぶことができます。
真面目に生きてきたからこそ、堂々と生きていけるんじゃないですか。
これ以上の何かを求めるのならば、それは【煩悩】というものです。
へんな魔に憑かれていらぬ見返りを期待して、せっかくの積み上げてきた善因を台無しにしないでくださいね。
真面目に生きて、真面目に生き抜いたその先には、
今あなたの欲しがっているものなんかなーんでもなく思えるような、もっともっといいモノが待っていますから。
真面目(しんめんもく)
時雨様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
実は、この「真面目」という言葉は、もともと「真面目(しんめんもく)」と申しまして、中国の宋代詩人・蘇東坡が「柳は緑、花は紅、 真面目」として、それぞれはそれぞれであるがままとしてある平等なる自然のありようの境地を詠んだ内容が由来であります。
それぞれはそれぞれで、精一杯に輝けるように、一生懸命に生きる自分自身としっかりと誠実に向き合うことが、まさに「真面目」と言えるのではないだろうかと存じます。
誠実に真面目なご自分を是非、誇りに思われて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌