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僧侶の結婚

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浄土真宗以外のお寺様以外は結婚できないと聞きました。
しかし、結婚されてるご住職がたくさんおられます。
教えが変わるということは考えにくいのですが
結婚されているお寺様の考えや意見などを
具体的に教えていただけないでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

報恩謝徳の お念仏が出来る環境が何より大事である。

浄土真宗 の宗祖 親鸞聖人は、報恩謝徳の お念仏が出来る環境が何より大事であり、結婚して妻がいても、お念仏することの妨げにならないのであれは、また それが支えになるのであれば、何の問題もないと。
そのままの私を救うという、阿弥陀如来の本願を信じ、妻、子どもと共に、念仏者として生き抜かれました。
浄土真宗では、結婚してもいいですよ〜というより、宗祖のお心を大切に、報恩謝徳の道を歩ませていただく、これが、一番大事なことと考えています◎

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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お互いを観音菩薩の化身と敬う

えーちゃんさま

仏教僧はもともと妻帯は許されていませんでしたが、明治5年に時の政府により「太政官布告」というおふれが出て、僧侶の肉食・妻帯が許されました。宗教上の決まりを、教団や本山ではなく政府が決めるというのも妙な気がしますが、比較的すんなり受け入れられたようです。

おそらく、どの宗派でも実質的に妻帯をしている僧侶が少なくなかったのかな、と想像しますが、これによって「お坊さんが普通に結婚する」という世界的に見れば特殊な状況が生まれました。

さて、仰る通り浄土真宗では教義上結婚が許されています。これは、念仏を称えることと阿弥陀仏への信心を抱くことが最重要であり、修行することや戒律を守ることはそれほど重視されなかった為です。

また親鸞聖人は「非僧非俗」という立場をとりました。平安〜鎌倉期の正式な僧侶は、今で言う公務員のような立場でしたが、法然上人や親鸞聖人は念仏弾圧によってその僧籍を剥奪されました。なので「非僧…僧侶にあらず」「非俗…俗人でもない」です。

ここから親鸞聖人を「初めて公式に妻帯した僧侶」と見る向きもありますが、それ以前に多くの僧侶が半ば公然と、あるいはひっそりと妻帯していたようです。なので「思想的に初めて結婚した僧侶」とは言えるかもしれません。
親鸞聖人の奥さまは恵信尼(えしんに)さまといい、お互いを「観音菩薩の化身」と敬いあったご夫婦でありました。
僧侶であっても一般の方であっても、こんな夫婦関係を築いていけると良いですね。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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出家したものが妻帯するのはおかしいのですが

仏教の教義からすると駄目なのですが
日本の法律で認められています。
海外の仏教のお坊さんから見ると
とても変なものとしてみられます。
しかし、これが日本の仏教と考えるしか有りません。
隠れて妻帯するなら・・・と言うことだったのでしょう。

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おきもち

50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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執着を捨てる

えーちゃんさん、質問ありがとうございます。

制度上の結婚のこと、親鸞聖人の妻帯については、すでにほかのお坊さんが充分にお答えかと思います。

私が思うに、あなたの疑問は、お釈迦様が戒められたことをお坊さんが破ってよいのか、というあたりにあるのではないかと考えます。

お釈迦様は,確かに異性に執着することはいけないとおっしゃいました。

それは、悟りを開くためには身を正しくし、心を落ち着けることが必要と考えられたからだと思います。

特に性に関することは戒められたことの代表だといってもよいでしょう。

残念ながら私たちは,何かに執着を抱くと心が乱れてしまいます。
異性に対する執着もその最たるものだと思われます。

お釈迦様のおっしゃったことを否定するのではなく、お釈迦様のお心を考えると、執着を離れることが大切で、性に関しても、その対象に出会うことがなければ、執着は起こらない。ということではないかと思われます。

現代社会で、男性ならば女性、女性ならば男性、に全く関係を持たずに存在することは果たして可能でしょうか?
異性に対する執着が全く起こらない条件の下に生きている人は全くいないといってもよいでしょう。

結婚で異性への執着がすべて解決するということはないのかもしれませんが、すくなくともかなり多くの異性に対する無用な執着から離れることは可能です。

法然上人は自分の状況に合わせて念仏することを勧められ、親鸞聖人は肉食妻帯を選び取られました。

きっとそれはお釈迦様のお心を踏みにじるといったことではなく、お釈迦様のお心を、できる限り精一杯自分の身に照らしてお受け取りになったことの表れだと思います。

現代の僧侶の皆様も、そのようなお心でいらっしゃるのではないかと,私は受け取っております。

参考になれば、うれしく思います。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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えーちゃん様。

浦上 哲也 師や、水上 昇真 師もおしゃって居られる様に、明治5年に時の政府により「太政官布告」というおふれが出て、全ての僧侶の肉食・妻帯が許されました。

また、貴方の仰る「浄土真宗以外のお寺様以外は結婚できない…云々」は何処からいつ頃伺われましたか。
其の情報はとても古い其れですから、どうぞこの機会に改めて下さいませね。

教義上…云々に付いても、何処の宗派の何れの時代の其れを申されて居られましょうか。
其処の所の典拠をお示しに成って頂ければと存じますが…

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おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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質問者からのお礼

法律は関係ないと思います・・・
教義上結婚が許されてないのに結婚するということは
申し訳ないなという気持ちなのか
逆に開き直っていらっしゃるのか
本音が聞きたかったのですが・・・

ありがとうございました。
興味本位で聞いてしまいましたが
どのお寺様も素性を明かしていらっしゃいますので
なかなかぶっちゃた意見は言いにくいですですね。

「お坊さんと出会い、恋愛、結婚」問答一覧

床に落としてしまって落ち込んでおります。

以前ご質問させていただいた後日、お寺に行き、愛染明王様のご真言や梵字が書かれた金色のカードと愛染明王様が描かれた金の護符(守護札?)の計2枚が入っているものを購入し、愛染明王様にお会いしてお参りさせていただきました。 その後、毎日それらを携帯ケースに入れて持ち歩き、最近では、お家で朝や寝る前にそれらを両手で持ちながら感謝申し上げたり悩みを聞いていただいたりご真言を唱えたりしております。 そのようななか、本日、外出時に焦っていた際に携帯ケースからそのカードと護符がするりと抜けて床に落ちてしまいました。 愛染明王様をお慕いしている者として、落としてしまったことがショックです。 落としてしまった護符とご真言や梵字のカードには、もう愛染明王様やそのお力やお心は宿らなくなってしまったのではないか、愛染明王様に失礼なことをしてしまったので、もうご加護をいただけないんじゃないか、というエゴな悩みで情けないのですが、その悩みに対する答えをどうか教えていただけないでしょうか。 また、私はそのお寺で塗香も購入しており、床に落としてしまったそれらを塗香で清めることは有効か、また他にも良い方法はあるのかということについても教えていただけないでしょうか。 愛染明王様がいつも見守っていてくださっているということが心強く、充実した日々を過ごしていた最中でしたので、少しショックです。 護符やご真言や梵字をもっと大事にしたいという戒めにもなりましたが。 このような質問で恐縮ですが、ご回答宜しくお願い申し上げます。

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何が正しいのかわからない。

私は地方の檀家寺に生まれました。 幼い頃から父にお坊さんになること以外の道を許されず、反論すると暴力や大切なものを壊されたりしてきました。 逆らうことができ学生時代は本山に寄宿しながらの修行生活をしました。 しかし、修行を終え娑婆に帰ってから、自分でやりたいことを選べなかった後悔と青春時代を失った後悔に襲われました。 それと同時に本山から帰ってからは周り(寺族、檀家様、周りの寺院)からの期待が大きくなっていました。 住職が私のいない間に周りのお寺や檀家様に「息子は望んで家を継ぐために本山に修行に行ってる」と意気揚々と話していたそうです。 それだけではなく住職は結婚したら将来同居がすぐできるように二世帯住宅を完成させていました。 結婚しても、食卓でも仕事の話やすぐに機嫌を損ねると癇癪を起こし暴力を振るってきた父と一緒に生活することは相手のことを考えると私はできませんが、、、。 そんな日々が数年続く中で住職から荒行に行くようにいわれました。 私は生まれつき身体も弱いですし、正直行きたくありません。 本山での修行中は家を継ぐ決心や僧侶になる発心がない状態でした。 しかし、逃げずにいたのは本山よりも癇癪を起こす住職の方が怖かったからです。 今は祈祷寺でもないのにこれ以上、修行をしたくないという思いがあります。 そのことを父に話すと癇癪を起こし泣きはじめます。 もちろん、修行道場は自分自身の信仰あって成立することです。望んでもいけない人が大勢います。 縁あって寺に生まれたからといって私のような中途半端な人間が僧侶を志してはいけないと思っています。 本山から帰ってきてからは上記で書いたことや、父の癇癪や、親の言う通りに生きない罪悪感(荒行に行かない)で押し潰されそうになり鬱病になりました。 今は療養施設に入っています。 最後にですが私は決して僧侶という仕事は嫌ではありません。大切な生き方だと思っています。 ①僧侶の皆様は自分の将来をどのように決めてきたか。 ②本山で修行し、周りや親の期待されているが荒行に入らずに今後もその期待に応えれない罪悪感をどうしたらいいのか。 ③私のような人間が僧侶を続けて良いのか。 応えられる範囲でご教示ください。 よろしくお願いします。

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彼氏にどう接したらいいか

最近彼氏にどう接したらいいのかわかりません。 彼氏はお坊さんの修行中で、遠距離2年目です。二、三ヶ月に一回くらい私から会いに行く関係が続き、婚約的なことまでしました。 先月の私の誕生日に会いに行く予定で、クリスマスと1日しか違わないので誕生日のお祝いも楽しみにしていました。 しかし、1日前に電話が来て、彼の祖父が危篤だと連絡があり、会うのを取りやめました。私の誕生日当日も、彼から電話があって慰めて欲しい的な内容でした。 とても自分勝手で最低ですが、わたしはこのことがあってから彼氏が少し好きではなくなりました。 会ってくれなかったことがショックなのではもちろんなくて、本当に気持ちの整理がつかないので理由がはっきりわかるわけではないんですが、、、、 その後もお正月は法事やらお寺のイベントやらで、何の連絡もなく、寂しいのに連絡も声も聴かせてくれない彼氏ならいらないとおもうようになってしまいました。 久しぶりに電話しても、仏教のことばかりでなんだか思想を聞かされているような気がして、彼氏と喋っている気がしません。 遠距離が始まる前に、いまは我慢して欲しい、そうしたら絶対幸せにすると言われたので今まで我慢しましたが、果たして住職になった暁に私のこの寂しさを埋めてくれるのか不安になってきました。 私がまだ未熟だから、未来の幸せより今の幸せを優先してしまうのは自覚していますが、私の時間も有限です。 婚約までしていますが、どう気持ちの整理をつけたらいいかわかりません。 まだ少し好きなので、なんとか前に戻りたいです。どうしたらいいのでしょうか。 長々とすみません。

有り難し有り難し 5
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お寺の息子さんとの恋愛

先日出会った方が島のお寺の息子さんでした。その日から毎日連絡を取り合い食事にも何度か行きなかなかいい雰囲気で、今後進展がありそうです。 しかし、母にいい感じの人がいると話をすると島のお寺の息子という理由で「恋愛はして欲しいが、結婚はして欲しくないから応援はできない。私は関わらないから好きにやってくれ」と言われました。 反対される理由としては、 ・寺に嫁げる品格ではない(私が男っぽくガサツな性格なため) ・家柄(結婚時のお金のことなどを考えているみたい) ・島(相談ができるような相手がいない、実家からも遠い) ↑のようで、話した次の日から明らかに態度が冷たく突き放されていると感じます。 私としては数年彼氏がいないので、上手く行けばいいなと思っています。しかし先を見据えた時に母がこのような考えをすることも理解できます。 正直、将来の事は交際を始めないと考えることができません。交際をする中で相手のご両親に会う機会や、島に行く機会があるはずですからそこで先を見据えて考えることが出来るのではと思っています。 このまま交際に発展すべきか、それとも母の意見を聞いて諦めるべきか悩み苦しんでいます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ