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自分が作り出す恐怖に対抗できません

回答数回答 2
有り難し有り難し 41

私は長い間アルバイト勤めをしています。
正社員になりたいと決意してから2年経ちました。
努力をしたつもりですが結果が出ません。

今はウツになってしまい、医者に通いカウンセリングを
受けています。

当初は正社員になりたくて勇気をもって飛び込んでいましたが、
ウツになってからは何もかもが怖くなって仕方ありません。

採用されなかったらどうしよう?
仕事がきつかったらどうしよう?
いじわるされたらどうしよう?
拘束時間が長かったらどうしよう?
失敗したらどうしよう?

すべて起きる前の自分の妄想なのは気づいています。
今ここで起きている事ではないのを知っています。

しかし、怖いです。
求人を眺めるだけで息苦しくなり、どうかしてしまいそうです。

どう乗り越えていけば良いのでしょうか?
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

結果は今

アサヒロさまこんにちは。はじめまして。

「努力をしたつもりですが結果が出ません。」とおっしゃりますが、人生で降りかかってくる出来事に対しきちんと努力し、結果も出ているのではないでしょうか。

ウツという中々認めがたい縁に対し、現実を受け入れてきちんとカウンセリングを受けるという努力をされているのでしょう。
ウツを抱えながらでも長い間アルバイトを継続できているのでしょう。

ご自身で思っておられるよりずっと努力して結果を出しているのだと思いますよ。

そこを認められずに「理想の自分」というところに結果を求めるから、今の自分という結果を苦しくしてまっている面はないでしょうか?

色々な思いは確かに妄想ともいえるのでしょう。でもその妄想で今苦しいのも事実ともいえるのでしょう。
その苦しみを乗り換えられないという「思い」をお持ちなのでしょうが、事実としてのアサヒロさんはきちんと苦しみにたいして努力し結果を出して来ているのではないでしょうか。

どうか今のアサヒロさんをもう少し認めてあげてください。
そうしたらやってみようという自信も湧いてくるかもしれませんし、やってみてもしダメならダメでダメなりになんとか対処できるだろうという自信も持てるかもしれません。

辞めたっていい、逃げたっていい、それも苦しみへの対処(努力)の一つでしょう。

そこに思いを馳せられた時、苦しみを受け入れて抱えたまま努力していくという道も開けてくるのかもしれません。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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思いなんて思い。完全シンクロしないこと。

こんばんは。ヴァンゲリオン39号機のパイロット、丹下シンジです。
われわれ人間は、元々操縦士のいないロボットのようなものです。
ガンダムで喩えますと(エヴァどうでもいいんかい)、われわれはこの肉体に宿る操縦士。
われわれは安室ちゃんなのです。チョット違うぞ?
この肉体がガンダムというロボットであるとすれば、パイロットであるアムロが我々です。
ガンダムは操縦士無しでは動きませんが、人間は操縦士無しでも動きます。
自己の本体には、元々操縦席に人「わたくし・おれ」がいません。
そういう状態ってあるのです。
操縦席で完全にロボとシンクロしていると、ここがわからないだけです。
ひょっとしたら、アサヒロさんは「思ったことや考えちゃったことと完全シンクロ、完全同期症候群」かもしれません。
考えたことや思えたことは「想念」であって、リアルじゃない。まず、これを何度も念じましょう。
想えたことを「リアル」であるかのように錯誤・錯覚してしまうから、過去のことや過ぎたことをリアルに思い返して、思えたことと完全シンクロ400%。それが為に脳内はセカンドインパクト、サードインパクト、二次災害、三次災害が引き起こされてダメージとなって、苦しいのです。
人生はいつでもファースト・インパクトあるのみ。
「第一次その事」しかありません。
その「第一次そのこと」であるファーストインパクトの永遠の連続が人生なのです。
簡単にいうと、見えてるもの、聞こえているもの、であっていること。
それに出会っている時は、それ以外のことがない。余物、他事が生じていないから、自分の好き嫌いさえもない。
事実、そのファーストボカーン、第一ちゅどーん時には、本当は神とホトケしか入ってきていないのです。人間が入り込んでいない。
人間が人間の思考でファーストインパクトに対してあれこれ思うことこそがセカンドインパクトだったりします。
道元禅師はここを「知足」と示しています。
知足とは娑婆仏教の「足ることを知れ」という意味ではなく、悟り目線では「五感に物事が感受するときには他のものが入り込むことがなく、限定的である」ということなのです。
思いと事実とは別物です。
想えたこととは、あなたがそう思えちゃっただけであって、実際の事実とは別物です。
思いにあまりシンクロしすぎないこと。思いの世界ではなく事実のままに。それが坐禅のこころです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

吉武文法 様
回答ありがとうございます。

確かに「理想の自分」以外は「ダメな自分」と判断していると思います。
自分には良し悪しがない事を思い出しました。

他人に褒められてもなかなか素直に「ありがとう」とは言えず、謙遜してしまいます。
もう少し自分を認めていこうと思います。

出来なくても、失敗しても良し。結果にとらわれない考えを大事にする事で努力も
継続できるのだと思いました。

ありがとうございました。感謝します。

丹下覚元 様
回答ありがとうございます。そして「てらこや」ではお世話になりました。

座禅を体験し、如何に自分が「今ここ」には無い事に夢中か良く分かりました。
次から次へと止めどなく沸く妄想。自分でも驚きました。

その後の茶会もとても分かり易くためになりました。

自分の内を見て「妄想」している自分に気づき追い払い、その先の「浮か
んで来た瞬間」に気付きそのままにしておけるように訓練していきたいです。

「今ここ」から離れていってしまわないように心掛けます。

ありがとうございました。感謝します。

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