hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

食生活

回答数回答 2
有り難し有り難し 29

初めまして。
ご相談させて頂きます。
食生活の事です。
一般人が 禅僧に近い食生活のするのは可能ですか?
食生活の乱れで、心身の疲れが取れにくいです。
精進料理でも可能でしたら、お教えくださいますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

良人行 利他行 という 食事

人が良くなると書いて「食」。
昔はこういうベタな法話ばかりしていました。
こういうことを言うとみんな「へー」とか「ほー」とか思うのですが、今、そんな自分を振り返ると嘘くさくて恥ずかしさのあまり「ひー」とか思います。
ご紹介が遅れました。みなさんの心の健康、心の健全、心の明晰さお届けする「無印良品」を30年以上「無印食品」と読み間違えておりました一、二本足りない「凡T」と申します。
精進料理はレシピ本が山ほどあります。時数の関係上「要点」を申し上げます。
「さしすせそは金をかけろ」がミソです。毎日食べるもんだからです。
砂糖、塩、酢、醤油、ソースじゃなくて味噌。
最近はみりん風調味料、しょうゆ風調味料という、厳しく申し上げれば先祖に唾吐くような商品が多いです。
まずは、そこを天然ものにしましょう。
そして、何より、心です。
心がうまいもんを食べていないと、どんな高級料理を食べとっても真に満たされることはありません。
食べる舌、胃腸が不健康であると、吸収もされませんように、こうして人の話をお聞きいただく上では、まず耳を洗ったつもりできいてくんなまし。
私は、超不健康食生活ですが、今んところまださほど大きな病気はしちょりません。
私よりももっとやせてる人が痛風や糖尿病、脂肪肝にかかってしまい、どうしてなのかと思いましたが、ひょっとすると「これが大事」なんじゃないかなと思い信じてもらえんでしょうが、一つだけご紹介します。
それは、食生活も大事ですが、あなたが人のお役に立つ善行、徳行、おたすけ行、自他ともに善玉菌の活性化される行為をする、積むことです。坊さんの法話でもよく「利他行=よいことしなされ」ということが出てくるでしょう。あれは、坊さんがするべきことじゃなくて「人類はそれをしないとだめ」なのだと思います。お釈迦様も無理して徳行してません。普通に毎日24時間ほとけ行なのです。
自分が自分が、自分の自分のことばっかりということを離れて、自分の持っているもので誰かに尽くす、よきこと、幸せ活動、善玉菌活性化活動をするのです。
食べるという字は人が良くなるというベタな話があります。(ベタ言うな)
本当に人が良くなるには、体だけではだめなのです。
食事も大事ですが、まず、おのれがこころをやすらかに❝やすらけく❞❝やすらかならしむ❞事が心にとっての最高、最上の良人食「法食」です。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

まずは朝のお粥から

こんばんは

 心身の疲れが取れにくく、食生活を改善させたいのですね。

 さて、禅僧のような食事をしたいとの事ですが、私がご本山にいた頃、何人かの仲間が食生活が原因で病気になりました。現代人が急に禅僧のような食事ばかりを取る事は、あまりお勧めできないようです。(本山では、テレビやネットで紹介されているようなおしゃれな精進料理は食べていません)

 一方で、私は朝、お粥を食べます。曹洞宗のご本山でも毎朝、お粥を食べています。これは胃腸に優しく良いです。白粥にごま塩をかけてたくあんを添えていただきます。今はレトルトもあるので、手軽に食べられます。

 まずは朝のお粥から始めてはいかがでしょう。
 あとの昼・晩の食事もバランスよく、よくかんで食べるようにし、また間食もなるべくしないようにしましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

光輝様

ご回答頂きまして、
ありがとうございました。お粥から始めてみます。

ありがとうございました。

丹下覚元様

世の中のお役に立つ行いを、少しずつやってみます。そのように動いてたら色々有り難く感じる事が増えて 過食防止になりそうです。
料理中も集中でき美味しく味わえそうです。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ