納骨について
長い長い闘病の末、愛する夫を亡くしました。
今、病気から解放され大好きな我が家でのんびりしてくれていると思います。
生前食べることのでかなかった好物や嗜好品をお供えし、よく見ていたテレビ番組をつけてみたり、聞こえるかもと話しかけてみたり、、。
彼を思っては涙が溢れます。そばに居て欲しい、近くに感じていたいと思います。
しかし、親族より納骨を迫られ、建て前は四十九日、本音は相続のため、納骨せざるを得ない状況です。
理不尽で、何より彼の気持ちもわたしの気持ちも全く汲まれていないことが悲しくてなりません。
間も無くその日がやってきますが、辛い気持ちは増すばかりです。その日をどんな気持ちで迎えれば良いのか、その後どう思っていけばいいのか全くわかりません。
分骨は良くない気持ちがありますが、埋葬してしまうべきなのか、一緒に居たいと言う気持ちで手許供養して良いのか、正しくはどうなのか。
分骨は良いことではないのでしょうか?
一片手元に置いておいた場合、その部分のお骨がないことで、彼は困りませんか?
そして、いつかわたしが亡くなったとき、わたしと実家のお墓へ納骨してもらうことは大丈夫でしょうか?
こんな気持ちで納骨日を迎えることは、彼にも申し訳がなく、どうか良いこと・正しいこと、悪いことを教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたを支えるお役目が済むまでは…
納骨のタイミングは、よくある問い合わせのひとつです。
宗派やお手次の方針によっては決まりがあるのかもしれませんが、
私の場合は、とくに自坊の御門徒に期日は指導しません。
基本的に、すでに亡くなってしまった者への<未練を断ち切る>という意味では、できるだけ早いほうが良いのかもしれません。
御仏前で、どれだけ手を合わせてもお経を読んでも、決して生き返ったりはしない。お水やご飯を供えたって、元気だったあの頃のように「おいしい、おいしい」と言って食べてくれるわけでもない。ご遺骨を肌身離さず持ち歩いたとしても、手で直に触れたとしても、そこにはもう旦那様の体温はありません。考えてみれば、じつに虚しいものです。
でも、
あなたは今、愛する旦那様のご遺骨がそばにあるから頑張れるんでしょう?
旦那様のいないこれらかの生活は、寂しくて、悲しくて、たまらなく不安なんでしょう?
じゃあ、親族に内緒で分骨してでも、どうかあなたの手元に置いておいてください。
「ありがとう、もうあなたの遺骨が手元になくても私はがんばれます。」
1年後?
10年後?
30年後?
いつかそんな日が来た時、あらためて土に還して差し上げることを考えてはいかがでしょうか?
納骨の時期はそれぞれですよ
御質問頂き有難うございます。納骨の時期は本当に取り決めはございませんが、一応満中陰(四十九日)で納骨されますが、私の教団である浄土真宗は納骨堂やお墓がございましたら、納骨されます。門徒さまには、納骨の時期は言わないですが、納骨されたら命日にお参りされることが大切だと思います。亡くなられた方に対しての供養よりも生きている私たちの為にお参りが大切だという事が大切ですよ。分骨等よりもお墓や納骨堂に納骨されて、御仏壇やお寺に御縁を結ばさせて頂く事が大切ですよ。 合掌