墓じまい
両親が30年前に購入したお墓なのですが、
まだ誰のお骨も入っておらず、開眼供養もしておりません。ただずっと管理料だけ払い続けて参りましたが、この度、そのお墓を撤去をする事に決めました。お寺は真言宗豊山派です。
その場合、供養は必要なのでしょうか?
墓石と土台だけ撤去して更地にする費用だけで宜しいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
供養とは、人がより豊かになる、より良くなる活動です。
そもそも供養塔の由来はストゥーパ(卒塔婆)というお釈迦さまが亡くなられた時に建てられた仏舎利塔がはじまりです。それが元祖「供養塔」であり、仏教のお墓の始まり。五重塔もお墓も卒塔婆も五輪の塔みな供養塔。それはいわば仏教の宗教精神を打ち立てるという姿であり、仏教の宗教精神、救いの精神性である菩提心を建立している姿ともいえるのです。亡くなられた方の墓石、お墓というだけではただの亡き人への供養の石塔ですが、仏教の供養とはそういうものではなく、この世を悟りや涅槃、菩提心という救いの心を打ち立てる、広める、救いの心、優しい心を永遠に広めようという精神、大誓願のもとで建てられるべきものなのです。それが供養塔であり、仏教のお墓というものですから、墓じまいをするということはある種、菩提心を手放してしまうという面もありますから、メディアの作った言葉にあまり踊らされないようにしていただきたいと思います。
もちろん、これ以上、保持、護持することができないということであれば、お寺の規約にしたがって、元通りにしていただければよいと思います。お寺さんに事情を説明して、お墓の土地をお返しする際の在り方を聞いておくとよいでしょう。魂抜きの発遣供養は必要です。
正義感がお強いと公開プロフィールに書いておられますが、それは良いことです。悪いものと思わないようにしましょう。
その正義感やエゴをもっと良い形で高めようと志せばその心は「菩提心」へと転換します。そもそも菩提心とは、負となるものでもそこからより良い状況へ向かわんとする精神ですから、自分も救える、相手も救える、世の中の救いとなるような、この上ない心、無上の心を菩提心というのです。それを象徴したものがお墓であり、お寺、精舎、供養塔、仏舎利塔でもあります。
随所に菩提心を打ち立てる。
「帝釈天の一茎草」という話を調べてみてください。
仏教においては、誰もが心の医療従事者です。誰もが誰かの救いを必要としています。あなた救いの活動は今も求められています。だから、もしお墓を手放してしまったとしても、菩提心、救いの花を随所に打ち立てようという気持ちで、ゆくところ歩むところに救いの花を咲かせましょう。正義、エゴの心は燃料。今後のテーマとしてそれを機に菩提の花、救いの花を咲かせる工夫をすることこそ、あなたの今後の仏道の勤め。世の中に幸せの花を供養する修行です。
お寺によって色々。冷静に交渉を。
お寺は個別の宗教法人であり、お寺が所有する墓地の管理のあり方はそれぞれの法人で規約等を定めていたり、文書化はしていないけれども檀家総会等で取り決めをしている場合もあります。
お墓から魂を抜く儀式(発遣法要)とそれに伴うお布施も、単なる宗教的な儀式としてではなく、お寺によっては、檀家さん全体でお寺を支えるための費用負担のあり方の1つとして、半強制的なルール(実質的な手切れ金とか、卒業生が学校に寄付する習慣みたいなもの)の可能性もあります。
その場合、他の檀家さんとの公平性の観点から、住職さん個人の判断で勝手に免除できない可能性もあります。
檀家さん1件1件がクラブ活動やサークル活動の部員として部活動をしている感じで、住職は雇われコーチみたいなお寺もあり得ます。
いずれにせよ、直接墓地の管理者に問い合わせなければわからないルールもあり、他のお寺や他の地域の慣習と違ったとしても単純に批判できない個別の事情があります。
どんな要求をされたとしても、上記の事情を察して感情的にならないように、しかしあなた個人の事情は冷静に主張して交渉するようにお願いいたします。・
質問者からのお礼
この度は貴重なお時間を使って、わかりやすく丁寧なご回答を賜り、感謝申し上げます。
俯瞰的に世の中の動向を調べこれからの先祖供養を家族で考えました。仏教側のご意見も様々な本を読んだりいたしました。焦ったり、急いだりせず、ゆっくりと時間をかけて話しあった結果です。今後も冷静にお寺さんと話し合って事を決めたいと思います。
貴重なご意見をありがとうございました。