魂入れについて回答受付中
こんばんわ。質問お願いいたします。
うちは、10年以上前に父を亡くし、お墓を建てて納骨はしましたが、魂入れというものをしていません。
数年前に私が他家に嫁ぎ、結婚報告を兼ねて、旦那さんと一緒にお墓参りしました。
その辺りから「どうしてるかな」と、何だか父のことが気になり始め、分骨をすることにしました。
供養方法としては、手元供養をと考えているのですが、その際、遺骨に魂入れをした方がいいでしょうか?
それとも、魂入れをしなくても、手を合わせていれば、想いは届くものでしょうか?
教えていただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
報恩と誓願のこころをもって開眼供養をつとめる
魂入れというのは、分骨されたのであれば、そのご遺骨に魂を入れるということではなく分骨した際に一緒にお祀りするお位牌や仏像などに行なうものです。地域によっては多少、作法が異なるとしても原点は同じです。お釈迦が亡くなられた時に建てられた供養塔をストゥーパといいます。仏教のお墓や供養塔の原点と言ってもいいでしょうね。
お墓や塔をたてる、尊像やお位牌を作るというのはそこに仏教的宗教精神をうち立てる行為です。ただ故人様を敬うだけでしたら仏教でなくても行います。
仏教では、故人を敬うだけではなく、仏さま、法(教え・この世の理法)という人間をより豊かな心へと導いてくださる力や精神性を敬い、その教えに従って生きてまいりますという清らかな誓願をたてます。供養や開眼の儀式というものも宗教的な象徴行為ですから、そこに精神性が含まれませんと、訳も分からず儀式をやっているというだけになってしまいます。ですから、開眼儀式を行うなら道理にかなった形できちんと行いましょう。たとえば初七日は初願忌といい初の願いをたてる忌日です。故人様に対する報恩感謝の精神と誓願の心をもって進むべき方向に進んでいくための誓願をする。仮の喩え話ですが、もし故人様との関係が理想的でなかったり、故人様がもの凄く個性的な方であったとします。それでも遺族、関係者らはその方の死の死を通して宗教的にも人の道的にも豊かで安らかな方向に向かって進んでいこうとするのが宗教精神、宗教的な生き方なのす。愛する方であったならば尚更のこと。ですから仏教では道心、菩提心という一切の存在を救う報恩の誓願をたてるわけです。お世話になられた故人様の為にも報恩の誓願精神をもって自分も聡明で安らかな精神を求め、人格を向上させ困っている人々も救おうとする生き方=菩提心=最上の価値、生き方とするのです。
よって、そこに魂を入れるというのはそこに仏さまの精神性を込めるという儀式なのですから敬いや報恩の誓願精神が込められて初めて本物の開眼になるわけなのです。お墓や位牌をたてて形式の儀式として開眼するかしないか、よりも誓願があるかないかで生き方も変わってくるはずです。儀式は精神性があって初めて本物になるわけです。よし、これからはこのお位牌、尊像を父、仏さまとしてうやまい、報恩と誓願の気持ちをもって生きよう、と志された上で位牌や尊像に開眼供養をなさってみてください。
特に必要はないと思われます。
魂入れや点眼と呼ばれる作法は、本来、仏や仏の家でない物を仏、仏の家とするものです。仏像や仏壇は魂入れをしなければ、ただの木のかたまりや箱ですが、魂入れの作法を経ることで、仏や仏の家となるものです。
お父様のご遺骨は、そのような作法にかかわらずお父様の遺された心身の一部ですので、ことさらに魂入れのようなことをする必要はないと思われます。
こんばんは
前回のご質問も拝読しました。お墓 お骨 魂入れ 成仏 思いを届ける をキーワードに一緒に考えてみたいと思います。
まずなぜお骨をお墓に納めるかを考えてみます。
これを考えるのにミイラがヒントになると思います。ミイラは人が亡くなった後その形のまま保存しておくものですが、これは再び魂が帰ってきたときにミイラになった体を再度使えるようにと考えられていたものと言われます。お骨も同じような考えがあったと想像できます。魂が帰ってきたときお骨に宿って生き返ることを願っているように思います。一方できちんと成仏してお骨の中に魂が帰ってこないように重たい石(墓石)で封印しているように思います。生き返ってほしいという考えと、帰ってこずに成仏してほしいという考えのハイブリットですね。
この考え方でいきますと、お骨に魂を入れるというのは、故人の生き返りを意味することになりますので同時に成仏できていない事になってしまいます。そのためお骨には魂入れの儀式はしないと考えられましょう。
次に思いを届けたいとのことですが、これはお位牌がよいでしょう。お位牌は故人との電話にたとえられます。お位牌を通して個人とお話ができると考えられています。ということは、お位牌に魂入れをするというのは、故人の魂を呼び寄せ入れるというより、電話のSIMカードをセットするイメージなのかもしれませんね。お位牌のご供養方法の考え方に「いますがごとく」というのがあります、そこに故人がいるかのようにお供えをしてお話をしましょうということです。そうなると電話にお供えをする感じになりますが、食べ物なども届くテレビ電話的な装置なのかもしれませんね。
最後に納骨されているお骨を分骨するには、「分骨証明」というの書類が必要となります。最近も人骨が民家からでてきたなどのニュースがありますが、家にお骨を安置するにあたって、それが事件性のないお骨であることを証明する書類と一緒にしておく必要があります。また40年50年たった後、そのお骨が粗末な扱いをされないようにきちんとしておかなくてはなりません。さきほどの封印的な意味合いも含め、ご自宅でのお骨の保管はおすすめできません。お位牌をご用意し、それに魂入れをしていただきご供養されることをお勧めします。
質問者からのお礼
光禪さんの言葉が、ストンと心に染みました。わかりやすく、ありがたいお言葉、ありがとうございます。
手元供養は、家庭の事情もあり、せざるを得ない状況なのでしかたありませんが…。
業者さんに頼んでパウダー状にし、自宅に安置しようと思います。
悩んでいたことが解決し、すっきりしました。ありがとうございました(^.^)