スカートが履けない
22歳、戸籍上は女です。
小学2年生からスカートが履けません。
からかわれたとか、そういう記憶はありません。
ただある日、突然、スカートを履く自分に違和感を覚え、それ以来ほとんど履けなくなりました。
タンスの中の多くを捨てることになり、親をとても困惑させたことを覚えています。
制服は、毎朝にらめっこをしてから、脛の辺りまでの長いものを履いていました。
高校にはスラックスがありましたが、親が「似合わない」と言って買ってもらうことが叶いませんでした。とても辛かったです。
大学の謝恩会で着るドレスも、スカート風のパンツドレスでさえ何だか気持ち悪くて着られませんでした。
ただ、高校から役者をしているのですが、役としてならスカートを履くことができます。
自分であって自分でないからだとは思います。そのまま外に出ろ、と言われたらそれはできないです。
最近は、それがしがらみとなっていて苦しいです。
お店でスカートを見つけて、「可愛いな」「履きたいな」と思っても、躊躇ってしまうし、手に取ると胸がすごく苦しくなります。
友達が「きっと似合うよ」と言ってくれても、否定することになるのが悲しいです。
できることなら、スカートを履けるようになりたいです。
どのように考えれば解決できるでしょうか?
もしできなかったら、この気持ちとどう折り合いをつければいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を魅力ある役者に。
りんさん、こんにちは。
スカートが精神的に履けないのですね。
子供の頃に、特定なモノにフェチや違和感を覚えるようなことを覚えるのは良くあることです。一部の方はそれを勘違いして自分は男ではないかという性同一性障害と思い込む人もいます。 あなたはスカートをはきたいのにと思うので違うのでしょう。でも無理に履かなければという意識が余計に履けないという心を作り上げてしまったように思います。日頃の生活はパンツ姿で良いと思います。スカートをはかない女性はたくさんいるのですから。
そしてあなたは役者だと履く事ができるのであれば、そこにプロ意識があるのですから、プロとして履くことを勧めます。インスタでも使って、スカートが似合う女性を演出してたくさん写真を撮ってみてはどうですか?それをたくさんして、スカートの似合う女性のモデルとして、写真集を作ってみてください。どこまで魅力あるスカートの似合う女性を演じることができるか?役者であればそれで有名になるぐらいの写真を作ってみてください。プライベートの悩み解決と仕事の成就で一石二鳥です(笑)。
そんなカッコいい写真ができるのなら是非見たいので内緒で見せてくださいね。がんばって!合掌
仏教では輪廻を当然と見ていますので
仏教では輪廻を当然と見ていますので、
現在の自分に違和感があったり、自分とは違う世界に親近感があったりすると、「前世はそうだったかもね」と解釈して、気軽に受け流します。
何かの分野がとにかく好きで、けっこう上手にできて、頑張れるなら、「前世でもこれやってたかも」と邁進してよいです。
何かがとにかく受け付けられないなら、周りにもそれを上手に知らせつつ、適当にできる範囲でこなすのです。無理なところは「生理的に無理」とか「前世的に無理」と、気軽にギブアップしましょう。外の道がたくさんあります。
最近注目されているだけで、「なんで自分は男なの?」「女なの?」という違和感は昔から人々は感じていたと思います。前世では逆の性だったからかもしれません。
「ま、仕方ないね。この世では男として(女として)生きます」と、なんとか合わせられるところは合わせて、対応できないところは、「ゴメン。これは無理」と諦めましょう。
日本の教育が個性を伸ばすよりは画一的にするのが目的なので学校に行っている間が苦労するでしょう。卒業したら、自由が利きます。
個性とは、じつは無数の前世の経験や生き方まで含めて成り立っているかもしれないのです。そのときだけ疑似的に別の人生を生きる役者は、輪廻の一場面のようなものです。
気にしないで、個性だと思ったほうが良いでしょう、無数の生を生きてきたあなたの個性の一つです。
なぜ?スカートを履かなくてはならないのか?
あなたの気持ちは大切です。そもそもなぜ女性はスカートを履かなくてはならないのか?1度この疑問に正面から向き合うべきです。漠然と気持ち悪いはこれから大人として生きていく以上許され無い場面も出てきます。折角質問してきたのですから、色々な僧侶の意見を聞いて自分の精神の栄養にして頂けたらと思います。
私は男性ですが車に興味が無く、最近までエンジンオイルのランプがつくまでエンジンオイルの重要さが分かりませんでした。定期点検をしていれば、その時すべての事が賄なえると思って人任せにしておりました。その時、人から言われたのが、「男のくせになぜ、車や機械に興味が無いの?」と言われたことです。私は車は乗れればいいので、高級車や機能性は余り分かりません。苦手なものは苦手なのだから仕方がありません。私は車に興味を割く時間がもったいないのです。しかし、自分の生命に直結することは苦手な事でも仕方なしに覚えなくてはなりません。その時、素直に分からないことは分からないと言って質問すると意外に皆さん親切に答えてくれました。私は結構世に言う男性的なことがあまり好きではありません。でも、別に男性として生きてますし、人間として生きてますし、僧侶としての行いを全うしているつもりです。日々精進の毎日ですが。
あなたの行いも否定する人が居るからスカートが履けるようになりたいのか、自分が履けないと不便だからそうしたいのかもう1度思い返してみて下さい。静かに一人で考える時間が必要です。私はお寺の参拝をお薦めいたします。お寺に入り本堂でじっと座り、本尊様と向かい合う。じっとしていると昔の事が思い出され、今までの自分を振り返り、反省や後悔も思いだし、最後には本当に自分の必要なものだけが残ります。それがあなたの答えとなります。しかし、あくまでもその時の答えであって、次に来たときには答えが変わるかもしれません。それはそれでその気持ちに向かい合いましょう。答えは変わってもいいのです。私は10代、20代、30代、40代と知らず知らずの内に答えが変わっておりました。今でも思い出します。変わって結構、これは自分が諸行無常な証拠なのです。それに諸法実相(自分には実体がない)な証拠なのです。空いている時間で結構です。行きたいときで結構です。偶には自分が見つめられる場所に行ってみましょう。