苦しい
日々生きていくことが辛いです。
思うようにいかず、間違った選択ばかりの人生でした。
誰か私を消してくれと毎日思うのです。
こんな風に考えたくないのに、毎日誰かが殺されるニュースなど見ると、なぜ私ではないんだ、と、私のところへ来てと願ってしまうのです。
こんな考えは捨て去りたいのに、どうしても捨てられないのです。
どうすればこんな考えを持たないようにできるか、アドバイスをいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分のマイナスの経験をプラスに変えること。
mamimumemoさん、こんにちは。
どんな間違った選択、辛いことがあるのか具体的にわからないと具体的なアドバイスができませんが、人生そんなものです。私も二十歳の時は、失敗と死にたいばかりでした。でも人生経験は面白いもので、苦労した経験ほど、後々、その経験が生きることがあります。失敗経験が一番の宝になる時が来ます。
あなたの人生はこれから。未来には楽しいことがたくさん待っていますよ。それを期待して今を一所懸命生きてください。今が辛い時は少し休んで心の切り替えをしましょう。趣味とかスポーツとか、恋愛でもいいですね。
がんばって!いつでも辛かったら話し相手になりますよ。相談してくださいね。合掌
「求不得苦」
mamimumemo様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
少し悲観的、虚無的に陥られておられるご様子・・
思うようにいかないのは、実は皆そうなのです。仏教的には、「求不得苦」と申しますが、「求めても、求めても得れない・・」と悩み苦しむのであります。
なぜ思い通りにいかないのかは、真理を知らずに、無いものを求めてしまっているからであります。
無いものとは、ズバリ「実体」です。
全てのモノ・コトには、「実体」は無いのであります。「空」と申します。
「実体」とは、認識しているそれ自体において、そのものの側だけで独立自存として成り立っているかのように現れてしまっているものとなります。そして、本来、そんな「実体」が無いものを、何か得れるものが「実体」としてあるかの如くに錯覚して追い求めてしまうが、そんなものは無いということであります。
では、何も無いのかというと、そうではありません。存在しているモノ・コトは、確かに存在しています。
しかし、それらは、必ず何らか他に依存して、簡単には因縁(原因と条件)に依存して成り立っているというものとなります。このことを「縁起」と申します。
この「空と縁起」として成り立っている全てを理解することで、善い因縁を調えれば、善い結果を迎えることもできるとして、できる限りに善い因縁を調えることに努めるのが大切なことになるのであります。
その善い因縁を調える方法をたくさんにお釈迦様がお説きになられておられます。もちろん、「求不得苦」の苦しみを無くすことも。是非、これを機会に仏教に更に関心を持って頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌