回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏法を灯として
よし様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「自分は何か」・・
仏教的には、自分は、「五蘊仮和合」なるものと申しまして、色々な自分をカタチ作ってくれている要素が集まってできているものであると説明することになります。
しかし、その要素をどれほどに分析し、細かくしていったとしても、「これが自分だ」と言えるものは、実は見当たらないのであります。自分という「実体」は無いということになります。
もちろん、「実体」としての自分は無いけれども、存在していないわけではありません。現に、拙生も、よし様も今、このように存在できています。これは事実です。
ただ、色々な要素たちに依って、生かされてあるということになっているのであります。
もしか致しますと、「実体」があると錯覚されていることにより、迷い苦しんでおられるのであるのかもしれません。生きる自分、死ぬ自分という実体があるかの如くに。
とにかく、全ては、依って成り立っているもの、「縁起」と申します。
最も簡単な説明としては、様々な因縁(原因と条件)に依りて成り立っていると言えます。
そして、そのような存在でありながらにも、どのように生きていくことが最善であるのかをお釈迦様がお説きになられましたのが仏教でございます。
是非、仏法を灯として、仏法を頼りに生きることで、善き清き流れにお乗り頂けましたら有り難いことであると存じます。
川口英俊 合掌
【無明】の発見!?
とてもいい質問ですねー
「わからない」という事がわかった。
素晴らしい発見です!!
たぶん、お釈迦様もそこから出発なされたんじゃないかな。
今、きっと現在地が分からなくて、自分の進むべき方向が定まらないんですね?
とりあえず死にたくはないんじゃないですか?
生きたらいいと思いますよ。
周りの人たちには、自分は一つのことに集中している時は周りが見えなくなるから、そんな時は遠慮なく教えてくださいね、と言っておきましょう。
周りの人たちの力も借りて、生きてくださいね。
毎日食事をとるでしょ?
食事は他の生き物の命をいただくことです。
そのいただいた命の為にも生きないといけないのですよ。
考え過ぎず、気持ちを楽にして、生きてくださいね。
質問者からのお礼
お坊様 皆さん
コメントありがとうございました。
自分が、一つの事について悩んでしまい、それが自分をなくしてしまい、自分を否定してしまったがために、何もわからなくなってしまったのです。
今も先を見ることができず、仕事や生活に影響がでてしまっていて、考えが右往左往して、人の話を聞けなくなってしまいました。
本当は生きたいのに、ただ生きてもいけない。
辛いです。自分がないのは。