心を安定させたい
何度か息子のことで相談させて頂いています。
中学入学以来、反抗期、思春期もあってか、何もかもうまくいかない感じです。
色んな方に話を聞いてもらったり、ここで相談をさせていただいたりして、ずっと考えていました。
中学入学以来、私は息子に対して、学校にいってほしい。塾にいってほしい。小学生のころからつづけていたスポーツをもっとがんばってほしい。とほしい。ほしい。で気持ちが溢れていたように思います。
けれど、よく考えると、行動をどう起こすかはわたしではなく、息子ですよね。
とにかく、ほしい。という思いを抑えたほうがよいのではないか…と思いました。
心の底から思うことは難しいし、本音ではないかもしれませんが、学校に行きたければ行けばいい。(実際は2、3回やすんだだけで登校はできています。)
塾も行きたいと言ってきたらお金を払って行かせてあげる。
スポーツももっとがんばりたいのなら、やらせてあげる。
このように思ったほうがいいのではないかと最近思い出しました。
私の欲求が息子に見透かされていたのかな…とも思います
思い起こすと、小学生のころは、私が忘れていても、むすこは自分で用意をしてバスにのってスポーツの練習に行っていました。
ところが今は、朝から今日は練習の日だからね!と念押ししていまっています。
息子は、今は勉強やスポーツなど、色んな理由で気持ちが向いていないのかもしれません。
息子の成長を信じて、自分からやりたい!と思うのを待つのがよいのでしょうか?
待ってやりたいですが、家でゴロゴロする息子を見てると、つらくもなります。
私の心がゆれています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もうひと工夫。あとは待つ。
”行動をどう起こすかはわたしではなく、息子ですよね”
アドラー心理学でいう<課題の分離>はできているようですね。
あと少しですw
私がかつて児童養護施設に勤めていた頃に発見した、とっておきをお教えしましょうか。
「もう◯◯時だぞ。早く起きなさい」→「今◯◯時だけど、どう起きれそう?」
「ちゃんと規則を守れよ」→「次は規則を守れるといいなぁ。」
「朝から今日は練習の日だからね!」→「朝から今日は練習の日だけど、行けそうか?」
つまり、
子どもに選択の判断を任せる。
大人はその判断基準のヒントと選択肢のみを与える。
私は「おい起きろ!!」と言っていた頃は、めちゃくちゃ理不尽な反発を受けてきました。しかしながら、「どう?起きれそうか?」という言い方に変えたら、子どもたちはムクムクっと自分で起きてきて「先生、おはよ。行ってきます」なんて挨拶までして気分良く登校していくようになりました。こうなってしまえば、こちらのイライラもヤキモキも半減、それ以下です♬
もちろん思い通りに子どもが動かないこともありますが、この”ひと工夫”を考えるのも親の楽しみだと思います。
がんばって!!お母さん。その心の揺れも子どもの為にと試行錯誤する事も、母でいられる幸せのひとつですよw
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
心が揺れること…母親であるから…かもしれませんね。
よそのおうちのお子さんなら、もっと冷静でいられるでしょう。
質問で書いたように思っても、行動はなかなかです。大きな広い心で子供に対応できない私です。
なんとか冷静に対応できるときもありますが、イライラする子供に私がイライラ…
そしてお互い爆発して、私は落ち着くためにその場を離れます。
そしてしばらくして冷静になります。(子供はその爆発がおさまらないときもありますが)
結局、似た者同士かもしれません。
ひと工夫、がんばってやります!
ありがとうございました。