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毎日が面白くありません

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

贅沢な悩みですが聞いてください。毎日同じ生活でつまりません。
朝6時に起きる。お弁当、朝食作り、家事など。7時15分家を出る。9時―5時仕事。その後、スーパーで買い物。夕食作り、風呂、洗濯、家事、ボーッとする。11時ごろ寝る。平日はそれの繰り返し。土、日は買出し、掃除、洗濯、体力づくりのためにジム。疲れるのでだらだらゴロゴロ。
食事を作るのもしんどく、毎回いやいや作っています。節約中なので外食や出来合いのものは無しです。健康に気を使って作っているはずが、日頃のうっぷん晴らしでたくさん食べてしまって、どんどん体重が増える悪循環。家族のためと頑張っていますが、食事つくりも疲れました。
定時に仕事が終わり、自炊する時間もある。こんな恵まれた生活なのに毎日くさくさした気分です。料理もただ焼いただけ、切っただけの手抜きが多くなり、美味しくありません。
掃除も埃との終わらない戦いのようで溜息つきながらやっています。
トイレ掃除もたまらなくいやですが、しないと臭いが耐えられないのでしています。
映画も本もつまりません。前は読書や映画鑑賞大好きだったのですが、面白い作品が見つかりません。テレビも見ません。ペットはハムスター寿命で死んでから、きついので買っていません。庭が広いので、庭いじりなんてオシャレなものではなく、剪定や草むしりが家事の一部になっていて苦痛です。
ある意味平和ボケでもしているのだろうと感じます。仕事が深夜に終わる激務や家計が火の車だったら、つまらないなど言っている暇はないでしょう。
専業主婦と違って働いているので、やっぱり疲れているのかもしれませんし、なんだが分かりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真言 と 印相 と お札

秘伝の真言を伝授しましょう。
まず魔よけのお札の作り方。
筆、硯、墨汁、半紙をご用意ください。
紙とペンでもOK。
紙にカタカナで次の三字を一枚に一文字ずつ記してください。
「 マ ツ ル 」(祀奉祭 の 意)
乾いたら裏返して、陽の光が入るガラスに濡らしてお札(ふだ)として貼ってください。
ツ の 字を左
マ の 字を真ん中
ル の 字を右に 貼ってください。
次におとなえです。
お真言の冒頭につけられるオン(唵)とはオーン、大変神聖で深い意味があります。
例 オン キリキリ バザラ ウンバッタ など 
❝オン❞とは「地球が動く音」と説明される場合があります。
「唵(オーン)」の波長に合わせるべくおのれを投げ入れることで、無私、無我なる心が実現されていくのです。
気持ちが沈んだ時には以下の真言が良いでしょう。
それは「阿印(阿院)」真言です。
まずは心を鎮めてゆっくり深呼吸をしてください。
ス――――――…
ハ――――――…
息を吸うのに7秒、
吐くのに10秒くらいかけてください。
三回繰り返します。
心が鎮まってきましたら、
以下のお真言をしずかに、唱えてください。
「アーィン(阿ー印。)」
これは魔を払い、慶び、福、を取り込む真言です。
次に、首をやや前に落として、上下の歯をしっかり噛みしめます。口を広く横に広げて口角を上げぎみで唱えてください。
「アーィン。」
次に右の手のひらを真っ直ぐに伸ばして中指に意識を集めて左に向けます。
大きな声で真言を息が続く限り長めに唱えてください。
「阿ーーー印ーーー…」
寝る前に横になって窓の紙に向かって真言を唱えてください。
お真言を唱えているうちに別の字が浮かび上がってくるでしょう。
それが観えるようになったらあなたはもう 大丈夫 です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%BF%97%E6%9D%91%E3%81%91%E3%82%93%E3%80%80%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3&hl=ja&biw=1067&bih=533&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CB8QsARqFQoTCPaowtfb68gCFRDdYwodvkYLAA&dpr=1.5#imgrc=_
参考画像
ツマル ⇔ シムラ

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

笑顔で

毎日同じことの繰り返しに思えて、退屈だということですね。では自分から突飛なことをしては如何でしょうか?
その元気がないなら、朝お化粧の時にでも、鏡を見て笑顔の練習をしてみては?できるなら続ける。できないなら、「私ったら、笑顔にもなれない」という問題意識を持って、意識的に笑顔を作る時間を設けて下さい。
考え方一つでどうなる、というものではありません。行動が必要です。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

バカバカしいなあと思いながら(すみません)暇なので阿印の真言をやってみました。思わず笑ってしまいました。そういえば子供のころ、兄弟とドリフの真似して遊んでいたこと思い出しました。外食やレジャーなんかにお金かけなくても、小さなことで笑えるんですよね。生きているのがつまらないと思ったら、また阿印の真言を試してみます。ありがとうございました。いつもhasunohaの住職様の回答には救われています。いつも真剣に考えて回答くださってありがとうございます。

笑顔ですね。最近ないです。気合入れて、やーっといい顔作ってみます。鏡に映ったくさくさした自分の顔みてたら、さらに嫌になってしまいました。
メイク変えるだけでまた気分的に違うので、小さなことでもやってみます。あと、つまんないはあまり言わないようにします。仕事なんてつまらないものですよね。淡々とこなしてお金を稼げはいいと先輩に言われて、私の職種はそうゆうものだからと割り切りたいです。金融業なので楽しいわけがないのですよね。ありがとうございました。

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