やりたいことをやるって必要か
やりたいことをやるって必要ですか?
よく最近耳にする言葉です。
周りの人、インフルエンサー
よく言います。
しかし現実、日々やるべきことの連続で、やりたいことなんて見つかりません。
見つかったら幸せかもしれませんが、見つけるまで大変だし、
やりたいことを見つけて、それをやるって必要なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「やりたいことをやろう」の意図は「悔いのないように」
やりたいことがあれば、やれるときに、やればいいのだと思うわ。
やりたいことが、特に無い人もいるだろうし。やりたくても、今は出来ないという人もいる。
「やりたいことをやろう」と言う人の意図は、「悔いのないように」ということなのだろうね。
「やりたいこと」と「やらなければならないこと」も、違うよね。
自ら、やりたいと思えることに出会ったら、そのときに取り組んでいけたらいいんじゃないかな。
わざわざ大きな「やりたいこと」を探さなくてもよいのでは
お話しされる通り、生きているなら「やりたいこと」を見つけるべきだ、とよくいわれます。しかし、たいていはそういう場合の「やりたいこと」は人生の目標だとか、自分を向上させるために必要不可欠な何かだとか、大きな話になりがちです。
そういう大きな話に限定してしまうと、自分が好んで求めようとするはずの「やりたいこと」がすぐに馬の前にぶら下げられた人参のようになってしまって、自分を無理に駆り立て慌てさせる原因になってしまうことも少なくないのではないでしょうか。
あらかじめ決まった期間の中で、あらかじめ決まった目標値を達成するように仕向けられるパターンに私たちはとらわれ過ぎているようにも思えます。いついつまでにこれこれのレベルまで達成されなければならないような「やりたいこと」というものがあるとすれば、それはもう普段の業務ノルマと何の違いもないでしょう。
自分の外側のどこかにあって、わざわざ探しに行かなければ見つからないようなものが、自分の「やりたいこと」と言えるでしょうか。
もっと小さく、普段の生活のなかでポツリポツリと浮かんできて、短期に達成できるような、あるいは達成できなくても支障のないような「やりたいこと」でも良いのではないでしょうか。
「ちょっと仕事が忙しいけど、どこかで時間を作ってあの映画を見に行こうか」とか「ちょっと身体がなまってきたから、来週はどこかで運動をしに出掛けようか」とか、そんな程度の「やりたいこと」の積み重ねでも良いのではないかと思います。
そもそも「やりたいこと」って何なのでしょうね?
いちろーさん、こんにちは。
究極的には、もとより人間は「やりたいこと(やるべきこと)」しか出来ぬもの、というのが拙僧の見立てでございます。たまたま、「やりたいこと(やるべきこと)」と「やりたいと思っていること」が一致して、更にたまたまそれが連続してうまくいっているような、そういう幸運な方がいつの世にもいらっしゃるものです(拙僧のような愚鈍な者からすると、いやはや羨ましいかぎりですが…)。そういう方が発言力や影響力を持ちますと、社会に活気を与えるなどよい影響をもたらす一方で、(実はタイプの違う)多くの方たちを導こうとすればするほど逆に「迷わせる」という働きも知らず知らずしてしまうものなのでしょう。わたくしたち人間は、別段「やりたいこと」など探さずとも、もとより(すべての生き物は)やりたいことしか出来ぬ、という明々白々な事実を一目“コン”と発見されましたなら、いちろーさんのおっしゃるような(世を惑わす)ひとつの思想(考え方)に振り回されることもなくなるものと思われます。やりたいことを探しているうちは、その方にとって、やりたいことを探すことが「やりたいこと」なのでしょうね。探す必要がある方は(熱心に)それを探されるでしょうし、必要ない方はまるで探すこともございますまい。事実というものは“一目瞭然”。いかがでございましょうか?
そわか合掌
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。
ご回答ありがとうございます。みなさん
無理に探さずともいいという意見で心が落ち着きました。ありがとうございます。隣を見て焦らなくてもいいんですね